title>軍師官兵衛 第十五話「播磨分断」 ネタバレ あらすじ - 軍師官兵衛 非公式解説ブログ dismiss_pictograms | html %>:So-netブログ meta name="description" content="天正六年(1578)元旦信長が自ら主宰する茶会に重臣たちを呼んでいた、息子の織田信忠、羽柴秀吉、丹羽長秀、明智光秀、荒木村重、滝川一益など十二名に及んだ、重臣筆頭の柴田勝家は越後の上杉に動きが見られたため欠席していた。 安土の中で特に皆の話題となっていたのが前年の秀吉によるわずか一か月で播磨を平定し.." /> 姫路 大船 切り取り 話題 囲碁 加古川" />
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軍師官兵衛 第十五話「播磨分断」 ネタバレ あらすじ [ドラマ]

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天正六年(1578)元旦信長が自ら主宰する茶会に重臣たちを呼んでいた、息子の織田信忠、羽柴秀吉、丹羽長秀、明智光秀、荒木村重、滝川一益など十二名に及んだ、重臣筆頭の柴田勝家は越後の上杉に動きが見られたため欠席していた。
安土の中で特に皆の話題となっていたのが前年の秀吉によるわずか一か月で播磨を平定して見せたことである。丹羽長秀に持ち上げられた秀吉だが得意になることなく信長を担ぐ、信長の機嫌を取ったところである進言をする、播磨を平定し今度は毛利攻めとなるその毛利攻めに信長自ら赴いてほしいとのことだ、信忠は面白くないらしく自分が行くと言い出すが、その発言を抑えて信長は自ら毛利を滅ぼすと断言した。

元旦の夜、長浜に帰った秀吉がおねとともに酒を飲みながら茶会について語っていた、おねに対しなぜおれは信長様に毛利攻めに加わってもらったかわかるか?との質問をした。
そこは長年連れ添った妻だけにお見通しであった、播磨平定で十分功を立てた秀吉その上毛利攻めでこれ以上でかすぎる功を立てれば周りから疎まれる、逆に一番の功を信長に譲ることで周りと信長を立てた秀吉ならではの気遣いであった。これが出世するコツらしい。
そのおかげか信長は終始機嫌がよく播磨を切り取り次第秀吉の思うままにしろとの命令を受けていた。
秀吉は播磨の地侍たちが癖が強いことを目で見て感じていた・・・・・
毛利攻めが一段落ついたら本領安堵で播磨の者たちにおさめさせる腹であった。

信長主宰の茶会の翌日長浜にいる松寿丸の「具足初めの義」が模様されていた、武家の男子が初めて甲冑をつける儀式である、しかし官兵衛は播磨を離れることができず、代わりに栗山善助と母里太兵衛が儀式に参加していた太兵衛が松寿丸に甲冑を着せるさながら小さな武者である、そこへ秀吉が一太刀の小太刀を褒美として松寿丸に授けた。松寿丸十一歳のことである。

姫路では、官兵衛、光、職隆らが善助と太兵衛の帰りを今か今かと待っていた。
帰ってきてから顔をほころばしながら善助が松寿丸の様子を皆に聞かせていた。
そこへ光の兄である櫛橋左京進が姫路へ訪れた、去年自分の妹の娘である、鈴と花を引き取りに来たという
しかし鈴と花は光が面倒を見ると預かったと官兵衛は突っぱねる、しかし兄弟が争う原因を作ったとすべての責任を官兵衛に押し付け官兵衛を非難する、官兵衛も毛利、織田どちらについても播磨は戦乱に巻き込まれたと語る、両者は譲ることなく平行線をたどり対立は深まるばかりだ・・・・・

事態を重く見た官兵衛は光を同席させ、職隆と話した、どうやら左京進の居城である志方城では見知らぬ人物が出入りしているらしい、しかし左京進一人では何もできないどうしても主君である政職を説き伏せなければならない、その意見は官兵衛、職隆も同じで政職を繋ぎ止めれば家中はまとまると思っていた。
そのため官兵衛は一度御着へ赴くこととした、光も政職の正室お紺を見舞うためついていくことにした。

村重は本願寺との和睦のため石山に赴いていた、和睦の条件は石山を明け渡すことこの地は京と堺の間にあり交通の要所である、信長はこの地を中心に強大な商業都市を作ろうともくろんでいた。
しかし本願寺家十一代法主顕如は乗る気ではない、村重がこれまで見てきた本願寺門徒衆の状況を話題に出しながら説得するが、その門徒宗は信長に殺された者たちの縁者ばかり信長が死ぬまで戦い続けるといっている、説得することはできないであろうと・・・・・

織田の手に落ちた上月城は今は尼子家が守っている、尼子にも播磨じゅうの主だったものたちの大評定の話は来ていたが、毛利さん前線とのこともありこの地のとどまるように命を受けていた。
家臣山中鹿之助はお家再興のためほかの若い家臣に稽古を施していた、尼子義久はそろそろ休ませたらどうだと気遣いを見せやっとのことで稽古に一段落をつけた、しかしまだまだ体力の余っている鹿之助に義久はこの地にとどまるようにと秀吉から書状が届いたと伝えた。

御着では官兵衛と政職が碁盤をはさんで話をしていた、政職の待ったで官兵衛の話に耳を傾ける余裕が生まれた政職は官兵衛の相談に乗り始めた、例の左京進が鈴、花を引き取りたいと姫路へ押し入った件でる御着では左京進は官兵衛の悪口ばかり言っているそうだ、左京進は官兵衛に嫉妬しているのだと推測した播磨を平定したのは官兵衛の手柄であると政職も思っているようだそのような家臣を持っていると鼻が高いこれからのことも官兵衛に一任された。

官兵衛が囲碁を打っている間、光はお紺を見舞っていたそして腰をさすりながら左京進の話などをした
お紺は話が分かるらしくもし左京進が政職に何かよからぬことを話し出したら政職に言って聞かせる旨を約束した、お紺は斎の件で官兵衛と光に恩がある自分の目の黒いうちは恩を仇で返すようなまねはさせないと約束した。

それからしばらくして、官兵衛は秀吉の軍師半兵衛とともに三木城の別所へ赴いていた、もちろん播磨じゅうを集めた評定の件だ、官兵衛は今回は前回のようなことにならないようくぎを刺した、どうやら弟の重棟が兄賀相を説得し家中が一つにまとまったようだ、しかし半兵衛は三人を用心深く観察していた。

織田の使者として村重が再び本願寺へと赴いた、しかし本願寺は和睦を受け入れなかった、この不毛な戦いを終わらせたく村重も引き下がろうとしない、そんな村重を見て顕如はすべてを見透かすようにこんな質問をした「あなたは織田様を信じておられますか?」
有岡に帰り村重は荒れたまま酒を飲んでいた、飢えた門徒を抱え和睦に応じない・・・・・本当に根絶やしにされる、しかしその前に自分が信長に処断されるであろう・・・・その方が楽になれるかもしれないそう妻のだしに語りながら武士の面目もなく泣き出した・・・・・

一両日後村重は信長に本願寺の件について報告に上がった、報告に立ち会った光秀、長秀、一益は村重が厳しい懲罰を受けるであろうと思っていた、しかし結果は本願寺は滅ぼすまで、村重は本願寺がかたずいたら今度は秀吉の下につき毛利攻めに向かえというものこれは下手な懲罰より厳しいものだった村重はもとから武士で位もそこそこである、しかし秀吉は農民の出で出自も定かではないその下について仕事をせよなどと・・・・・長秀・一益は憐みの目で見光秀は言葉をかけ慰め、心中が怒りで震えている姿を秀吉は見つめていた。

同年二月、加古川城へ秀吉が入り、毛利攻めの表情を開いた播磨の主だったものが一堂に返した
その中で来ていないものもいるまた三木城の別所長治である、官兵衛が事情を聴くと賀相が代理できたという、そしてなぜか賀相は妙にやる気にあふれていた、自ら策やこれからの準備を別所家の習わしに従い説明していた、半兵衛が呼び止めやっと言葉が途切れたところで秀吉がこれからの攻め方や陣立ては我々に従っていただきたいと言葉をかけた、まるでそれを待ってましたとばかりに賀相が挑発的に秀吉に従えたと?と聞き返した。半兵衛が挑発に乗ってはならぬと声をかけようとしたところ咳が止まらなくなり忠告できない・・・・・・秀吉は挑発に乗ってしまった。
それを見計らい、左京進がある噂をほかの領主たちを見渡しながら語りだした。毛利攻めが終わったら播磨は秀吉の領地となる、この噂はどうやら本当のようだと・・・・・
官兵衛が収めにかかるが火に油を注ぐようなもの、まったく収まりがつかない、秀吉にも収拾がつかなくなってしまった。
そこへ賀相がこの話を暴きにかかる、我々を捨て駒にするつもりなのだと・・・・・
左京進が毛利につくと大手を振ってその場を離れ、賀相も同じように毛利つくと明言した、ほかの領主たちもこぞってその場から離れていった・・・・・
別所が毛利につくとなればほかの中小の領主たちはこぞって毛利につくだろう、残った者は半数に満たなくなっていた・・・・・

羽柴家だけになるのを待ってから、秀吉の弟小一郎が官兵衛に詰め寄る、なぜ縁者である左京進を繋ぎ止めておくことができなかったのかと、その件については半兵衛も見抜くことができなかったと官兵衛とともに頭を下げた、秀吉は官兵衛に確かに切り取り次第という話は出たが断ったという話を出したどこからその情報が漏れたのか・・・・
播磨に毛利の調略の手が伸びていたようだ、まんまと別所は毛利の調略に乗り踊らされたこうなれば東播磨を集中におさめていた秀吉が西と東で挟まれる形となる。

秀吉が播磨に入る少し前毛利の外交を一手に担っている安国寺恵瓊が播磨に入り暗躍していた、評定日は三木城にとどまっていた、左京進と賀相をほめたたえ輝元も喜ぶと話しながら左京進を精神的に取り込んでいた、賀相は大船に乗ったつもりだが長治は不安が取れないようだ「本当にこれでよかったのか・・・・」
賀相は大義を口にして長治を安心させようとする

加古川城の件を聞いて職隆はすぐに御着へ確認へ行った、政職はもちろんのこと重臣である小河、江田も知らぬことであった。
すぐに戦支度をしようとする政職を何とか抑えた職隆だが、政職は別の問題につかれていた、櫛橋家とは縁者だ疑われたらたまらぬ・・・・・官兵衛に伝えて本当に知らなかったことを説明してくれと・・・・・
気の小ささを露呈させてしまった・・・・・・

翌日善助を伴い志方城へ赴いた、すでに敵方となった志方城では戦準備を整えており官兵衛に敵意を含んだ視線を浴びせられる、何とか説得を試みようとする官兵衛だが左京進は口車には乗らぬと一切聞こうとしない、毛利では織田に勝てないと説明するその時恵瓊の眉があがった、「織田を買いかぶりすぎではござらぬか?確かに織田に勢いはある天下もとるかもしれない、信長殿の気性ではあと五年か三年長くはもちませぬ」
官兵衛が重臣たちが信長を支えると説明する。
その時左京進が二人の話を終わらせた、「能書きはよい、話など聞きとうない、帰れ」
しかし官兵衛はひくことはない、左京進はついに太刀を抜き首元へ向けた、太刀を抜こうとした善助と左京進を凝視したまま制した
「心変わりするのならこの首は喜んで捧げる、それがしが憎いばかりに兄上の目は今曇っておられる、ここで毛利につけば戦は長引き多くの人が死ぬ、この乱世を終わらせるためにも」
左京進は答える代わりに太刀を右に振りぬき鞘に納めた、官兵衛のほほが軽く切れ一筋の血が流れる
「帰れ!次にある時は戦場だ、その時は容赦なく切る」
恵瓊も「いずれまた」とその場を立ち去った・・・・・



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