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軍師官兵衛 第十七話「見捨てられた城」 あらすじ ネタバレ [ドラマ]

秀吉はひそかに播磨を抜け出し二条御所にいる信長に謁見を求めた、上月城を助けるよう進言するつもりだ、しかし信長は聞き入れることはなかった。
大義の前の小さな犠牲、五万の大軍にわずか一万で戦いその損害と上月の数百の兵の命を天秤にかけるとやはり犠牲が大きい、播磨の信用を失墜させるとしても犠牲が大きいと見たのだ・・・・

播磨へ戻った秀吉が重臣たちに信長の決断を知らせた、官兵衛は納得できるわけがない尼子勢に必ず援軍を連れてくると直接約束したのだ無理もない、引き下がらない官兵衛に小六が秀吉もつらくないわけがないと説いた、その時秀吉が感情が噴き出した嗚咽して泣き出したのだ、一通り泣き終えると鹿介の縁者で亀井新十郎に勝久と鹿介に毛利に下るように言伝を頼んだ。

上月城は毛利に包囲されている、人が入り込める隙などはない・・・・
その時新十郎の後ろに気配が・・・・・
官兵衛であった、官兵衛も上月へ赴きたいという、その手伝いとして善助と太兵衛、九郎衛門も来ていた
官兵衛の策で善助、太兵衛がまずおとりとなり、その隣にいた見張りの兵に今度は九郎衛門が石を投げ兵を引きつけ包囲網に穴をあけたその隙に上月城へと入った、そして新十郎と官兵衛は鹿介に援軍は来ないと告げた。

新十郎は秀吉の言伝を伝えた毛利に降伏せよと・・・・・・・
しかし官兵衛の考えは違っていた、新月の闇夜にまぎれ勝久と鹿介を脱走させる。
毛利は油断しているため、何とか逃げ切れるだろうと考えていたしかし勝久と鹿介は逃げるつもりはなかった兵を置いて逃げることはできない、勝久は覚悟を決めており自分の首を差し出せば兵たちを見逃すであろうと・・・・・
次の日高倉山から秀吉の軍勢は引き上げていった、村重は上月を見つめ「所詮は使い捨てか・・・・・」

織田が上月城を見限った報告は毛利の双翼元春と隆景にもすぐに知れることになった。
隆景にしてみればこれで播磨の”信”を織田は失った、理想的な勝ち戦となった。
同じとき上月城では勝久が切腹に準備を整えていた、鹿介は毛利に降伏し元春と隆景の二人を道ずれにしてお供をすると語るが、勝久に生きて尼子再興をと最後の命を賜った。
勝久は見事切腹を終え、七月五日に上月城は開城した、鹿介以下重臣たちは咎めなしで毛利につかえるという温情に預かった。
(実際は、勝久の願いは重臣たちを助けることだったが、重臣二人にも毛利は切腹を命じている)
鹿介は備中甲部川で二人の武士に切られ、首を隆景のもとに送られた隆景は首桶に向かい手を合わせた
(享年35歳、これも実際は隆景は鹿介を対織田に利用しようと捕えたが、鹿介のことを信用できないと輝元は隆景に内緒で鹿介暗殺を企てた、ちなみに墓はここ甲部河にあるとしていますさらにいうと首塚と墓が別のところにあるそうです)

上月が落ちたことは御着の政職にも知れることになった、江田の毛利はこのまま東へ向け進軍してくるでしょう、左京進を通じて今からでも毛利によしみを通じては?という進言に揺らぎ始めていた・・・・
しかし妻であるお紺に優柔不断さを指摘されているためすぐさま考えを改めた、お紺の床で強制を張りながら状況を説明していた、お紺は官兵衛に会って話がしたいと政職に願い出た。

官兵衛は高倉山から円教寺へと戻ってきていた、境内を半兵衛と散策するうち上月城の話題となった官兵衛は信長の人を人と思わない使い捨てにする指示を受け入れられないでいた、頭では正しいとわかっていてもそのうち信用を失い苦境に立たされるのではと危惧していた。
しかし半兵衛はどんなに道徳心に反していようとそれを含めて今できることを行い天下を収める手伝いをするのが軍師だと語る。
これまでの官兵衛は、半兵衛に言葉を返すことはなかったしかし一回り大きくなった官兵衛を見て半兵衛は微笑んでいた。

やる気のなかった播磨攻めの武将たちだがここへきて、俄然やる気を出し始めていた理由は信長が監視のために仙千代を派遣していたからだ、神吉城は村重が落としたしかし村重は神吉藤太夫を捕えていた。
仙千代はそのことに難癖をつけていた、信長の命は皆殺ししかしとらえたのどのようなことかと・・・・
村重は捕えないで殺せば城兵が死に物狂いで襲い掛かる、そうして兵の消費を抑えるためだと弁明した
この弁明には一理あり、長秀も助け舟を出す「太夫の首を落とせばそれで済む」しかしことは違ったちょっとした隙に太夫は志方城へ逃げられていたのだ、そこへ秀吉も助け舟を出す「どのみち志方城も落とす、同じことでござる」「筑前の言うとおり」と光秀も穏便に済ませようとしたが仙千代は信長に報告するという。
村重のことにより織田軍に軋みが表示はじめていた・・・・・・

上月の一件以来播磨じゅうが揺らいでいた、姫路の職隆は御着の人ので入り、武具兵糧のすべてを調べるよう文四郎に指示していた、官兵衛が秀吉の軍師として思う存分に働けるようにであるその官兵衛は
いくつもの文を書き善助、太兵衛、九郎衛門に渡していた。
毛利を足元から崩すための策調略を進めていた。
(官兵衛のもっとも得意とするところですね、戦国時代戦を動かす才能は戦術の才能ではなく、調略の才能です官兵衛はその点に特に優れていました、なので秀吉が官兵衛を遠ざけた後でも常に隣に置いておいたのです)

官兵衛の調略は地道ながら成果を上げていた、備中高松城の付近で謀反が起こった、前回は清水宗治が鎮めていたがその周辺に不穏な動きがあるようだ。それより気がかりなのが宇喜多直家である。
病が癒えたという直家が本陣にきていた、隆景は再度確認する本当に毛利に味方するのかと・・・・・
もちろん毛利に従っている、疑うのであれば今ここできればいいと凄んで見せた、元春は本陣に入ってきたときから切り伏せたかったようですぐさま太刀に手をかけた・・・・・
しかし直家はそのあとのことを指示してきたという、今斬られれば宇喜多は毛利の敵となり織田と挟み撃ちとなる・・・・・・
隆景は撤退しいったん敵味方を見極め体勢を立て直すことを提案し元春も応じざるおえなかった。
志方城は孤立無援となった・・・・・
「官兵衛お前の勝ちだ」
城主・櫛橋左京進は城兵の助命を条件に降伏・自害した。

左京進の遺児は四人である、定重、藤一郎、千代、加世すべて官兵衛が引き取った、光は又兵衛に子供たちの面倒を見るように頼んだ、又兵衛もそのつもりで特に定重、藤一郎が男だ、特に目をかけるつもりのようだ。

毛利を退かせ援軍の見込みがなくなったため信忠は軍を引き上げた、三木城を包囲しているのは秀吉だもちろん力攻めではとうてい落ちそうもない、秀吉は別のことが気になっていた官兵衛が秀吉から心が離れたのではないかと考えていた、しかしそのようなことはなく秀吉の力になりたいと思っていた。
(三木城攻めがこの時代の戦の転換期です、今までは力攻めで城を落としていましたが、城の周りを何重にも包囲し完全に補給線を断ちます、もちろん城の周りにいくつもの櫓、関所などを築きその間には2~4Mの間で人を配備し完全に包囲します、それを確か三木上攻めで半年以上かかっているはずなので一日3交代だとすると日に3000人以上の兵を必要とします、それを官兵衛や三成が指揮を執っていたはずです。
それらの人材を適材適所に置き使いこなすことが秀吉の強みだったのです。その代り準備に時間をかけなかったため時間がかかりすぎたため、この次の高松城攻めでは準備にかなり力を入れます。三木城の最後はかなりのひどいものだったそうです、最後は馬までも食べてしまい飢え死にが続出しています)

村重はほかの重臣たちと別行動をとり城へ帰城していた、妻のだしは懐妊していた、そこへ信長の呼び出しである今回はどうなるかわからない、夜遅く密書をしたためていた、どのようなことになろうとも妻と生まれてくる子供を守るためである。
(おそらくこれが本願寺、毛利、小寺を巻き込んでの裏切りの密書でしょう)

同じ夜官兵衛と光はお紺と最後の挨拶を交わしていた、お紺は官兵衛に小寺家を頼むと言い残した

翌日いよいよお紺の状態が悪くなり最後に、政職に迷った時は官兵衛に相談し、官兵衛を頼り何事も決めるようにと遺言を残し亡くなった。
お紺が亡くなったことは姫路の職隆にも伝えられ、より御着の監視を強めなければならないことを悟ったお紺という枷がなくなった今、重臣たちの思い通りに政職が動かされ恐れがある。

軍師官兵衛 第十六話「上月城の守り」 あらすじ ネタバレ [ドラマ]

秀吉は姫路城に戻り、官兵衛、半兵衛、小一郎、小六、三成とともに軍議を開いた。
たった一夜にして、三木城、神吉、野口、淡河、高砂、端谷、志方が敵方へ寝返った。
秀吉はかえってやりやすくなったと前向きだが、官兵衛は自らの身内のしでかしたことで気持ちの整理ができていない、姫路ではこれから別所と毛利双方を相手にするのには場所が悪いということで姫路近くの高山書写山へと本陣を移すこととなった、その指揮を執るのは石田光成だ。
秀吉にこれからの毛利の兵力はいかほどかと官兵衛に尋ねた。
「英賀に攻め込んできた毛利軍は五千ほど、此度はその倍の一万、宇喜多がつけば二万・・・・・」
毛利の大軍に対し上月を守るのは尼子勢だけだ

姫路より本陣を移すに当たり秀吉は官兵衛の父である、職隆に姫路の守りを任せたいと話をしていた。
恐縮する職隆に対し持ち前の人たらしの才が大いに発揮される、その才は官兵衛の妻光に対してもだ
これから官兵衛は姫路へは帰ってくることは少なくなると頭を下げ丁寧に謝罪を入れる。
職隆は久方ぶりの役目にやる気をだし、秀吉から官兵衛は久方ぶりの夫婦水入らずでの時間を過ごせとの命に二人で過ごすのだった。

毛利ではついに織田との天下分け目の戦が火ぶたを切って落とそうとしていた、輝元の叔父隆景が軍議をはじめ対織田に対しての戦術と各軍への指示をしていた。
策は三道並進!三方向から播磨を狙う策だ。
元春は美作より進軍し、水軍は敵の裏を突き播磨の港を襲う浦宗勝、隆景は備前より進軍し宇喜多をも取り入れ兵数は総勢五万にて播磨の上月を攻める腹だ。

対する上月城の尼子勢はたった七百の兵しかいない、重臣たちの前では鹿介は虚勢を張り一人十人前の働きをする七千の兵力に匹敵すると皆の士気を高めたが、官兵衛と二人きりとなった時に本音を語った尼子の名をもってしてもこれだけの兵しか集まらなかったのは誤算だと・・・・・
官兵衛は秀吉は上月を見捨てたりはしない、絶対に援軍を連れ戻ってくると約束し本陣へ帰った

書写山には信長の命に従い、荒木村重が援軍にきていた官兵衛の進言に従い秀吉が丁重に上月への援軍をお願いするが、あくまで信長の命に従い三木城の別所討伐をすると村重は断ってしまった。
官兵衛は村重の態度に唖然としていた、いつもの村重ではない・・・・・
秀吉に確認すると重臣たちの前で秀吉につくよう指示され辱めを受けたと思っているという。
その時ついに半兵衛が咳が止まらずに倒れてしまし床に伏してしまった・・・・・・

天正六年(1578)上杉謙信が上洛前に死んだ、それを機に対峙していた勝家が安土へ戻っていた
勝家の労をねぎらうため信長自ら能を踊り、勝家、お濃、信忠、光秀、長秀、一益、佐久間信盛らとともに鑑賞した。
謙信の死をきっかけとして、信長は次の段階へと歩みを進める、すべての官職をおり本当の信長支配を果たそうとするのである。朝廷を敵に回すつもりだ・・・・・・

同じころ秀吉の本陣に毛利の軍勢の兵数が伝えられた、予想をはるかに上回る五万の大軍である
すぐさま官兵衛が上月へ赴き城の守りを固め時間を稼ぐ準備に入る、秀吉はほかの重臣たちの体裁などかまっていられず、書状を何通送っても援軍を願うしかなかった・・・・

上月に駆け付けた官兵衛は櫓へ上り毛利の軍勢を眺めた、鹿介は敵が多いほど血がたぎると虚勢を張るが、官兵衛は宇喜多の馬標を探していた、しかし宇喜多直家の馬標はない宇喜多直家は織田にも毛利にもつかないと官兵衛に宣言していた、直家が出陣していないのら五万の軍勢は一つにまとまってはいない、直家はすぐには動かないと踏んだ官兵衛は、九郎衛門を使って計略を仕掛けた。

毛利本陣では直家の病という理由に元春は青筋を立て激怒している、隆景は直家にけん制しながらの戦で厄介なものとなることを悟っていた
そこへ尼子勢から逃げてきたという一人の男を捕えたと近習が連れてきた、それは官兵衛の一計で潜入した九郎衛門だった、九郎衛門が尼子は人数が少なく兵糧も少ない、私と同じく逃げ出したいと思っているものは多数います、私が手引きすれば上月はすぐに落ちますと持ちかけた

その夜九郎衛門の手引きで毛利の軍勢が夜襲を仕掛けてきた、九郎衛門の言葉通りに城門が開き城の中へと攻め入った、その時たいまつに火がつけられまんまと官兵衛の策が炸裂する、地の利を得て取り囲み弓矢でねらい、最後に太兵衛と鹿介が襲い掛かる・・・・・・
策がうまくいき勝鬨であるしかし大軍に囲まれていることに変わりはない、闇にまぎれ官兵衛は援軍要請へへ戻っていった。

光は志方城へ兄左京進の説得のため赴いていた、しかし左京進はまったく聞く耳を持たない、頑固な光は説得がうまくいくまで志方城から一歩も動くつもりがないようだ・・・・・

安土の屋敷に信忠、長秀、光秀、一益を集めていた、中に入った信長は金平糖を差出長秀に食べさせた、その甘さに長秀が顔をほころばせる、その時秀吉の播磨での状況を聞かせた。
一益は秀吉は信長に出陣を願っているようですが、それは自分の働きの悪さを棚に上げ、甘えているだけですと進言、それを聞いた信長は待ってましたとばかりに一益に命ずる、ならばそちが行け、お前が毛利を倒せ、そしてここにいるものすべてを播磨へ行かせる、織田家当主として信忠に大将を命じた。

左京進は毛利についたのは自分なりに考え一番可能性があると考え付き毛利についた、官兵衛が憎いだけではないと光に説明した、そこへ官兵衛の叔父休夢が迎えに来た、ひそかに姫路へ左京進が連絡していたようだ。

姫路へ帰った光は職隆に説明した、櫛橋家が滅ぶと思うといてもたってもいられなかった。
職隆は官兵衛と松寿丸のことを考えると軽率な行動だといさめ、官兵衛には黙っておく官兵衛を支えるよう言い聞かせた。

五月信忠率いる援軍三万が播磨入りした、しかし秀吉は上月城を救いたいという思いだが重臣たちは三木城攻めを信長から命じられていると首を縦に振らない。
それを見た官兵衛は理をもって説得に講じた上月を救わねば播磨の地侍は毛利へ寝返る意見が出尽くしたところで光秀が大将の信忠に下知を促した、秀吉と村重に上月城の救援へ一万の兵を向かわせ、残りは三木上攻めとの決定を下したが村重は不満げだ

秀吉は胸中穏やかではない、一万の兵では心もとないが何とか尼子勢を助けるしかない、半兵衛と官兵衛は同じことを危惧していた、播磨へおける織田の勢力をこれ以上減らさないためには、何とか尼子勢を救い出さなくてはならない。

上月城では籠城してひと月半がたっていた、織田からの援軍の報告を受けた勝久だが一万の兵力と聞き勝久、鹿介に心には深い霧がかかったようだ・・・・・
これだけの兵力差では官兵衛でも策を張り巡らせることは難しい、こうなれば最後の手段勝手に戦場を離れてはならないという不文律を犯してでも、直接、信長に上月救援を訴えるしかない。

今回出てきた佐久間信盛は確か退きの佐久間引き戦にたけ決して無理をせず、危なくなったら引くことを主眼にして戦う武将です、部隊の生存率は高かったといいます。
敵の情報をもとに部隊を引いていたそうです、ただ単に臆病だったという説もあります・・・・・・



軍師官兵衛 第十五話「播磨分断」 ネタバレ あらすじ [ドラマ]

天正六年(1578)元旦信長が自ら主宰する茶会に重臣たちを呼んでいた、息子の織田信忠、羽柴秀吉、丹羽長秀、明智光秀、荒木村重、滝川一益など十二名に及んだ、重臣筆頭の柴田勝家は越後の上杉に動きが見られたため欠席していた。
安土の中で特に皆の話題となっていたのが前年の秀吉によるわずか一か月で播磨を平定して見せたことである。丹羽長秀に持ち上げられた秀吉だが得意になることなく信長を担ぐ、信長の機嫌を取ったところである進言をする、播磨を平定し今度は毛利攻めとなるその毛利攻めに信長自ら赴いてほしいとのことだ、信忠は面白くないらしく自分が行くと言い出すが、その発言を抑えて信長は自ら毛利を滅ぼすと断言した。

元旦の夜、長浜に帰った秀吉がおねとともに酒を飲みながら茶会について語っていた、おねに対しなぜおれは信長様に毛利攻めに加わってもらったかわかるか?との質問をした。
そこは長年連れ添った妻だけにお見通しであった、播磨平定で十分功を立てた秀吉その上毛利攻めでこれ以上でかすぎる功を立てれば周りから疎まれる、逆に一番の功を信長に譲ることで周りと信長を立てた秀吉ならではの気遣いであった。これが出世するコツらしい。
そのおかげか信長は終始機嫌がよく播磨を切り取り次第秀吉の思うままにしろとの命令を受けていた。
秀吉は播磨の地侍たちが癖が強いことを目で見て感じていた・・・・・
毛利攻めが一段落ついたら本領安堵で播磨の者たちにおさめさせる腹であった。

信長主宰の茶会の翌日長浜にいる松寿丸の「具足初めの義」が模様されていた、武家の男子が初めて甲冑をつける儀式である、しかし官兵衛は播磨を離れることができず、代わりに栗山善助と母里太兵衛が儀式に参加していた太兵衛が松寿丸に甲冑を着せるさながら小さな武者である、そこへ秀吉が一太刀の小太刀を褒美として松寿丸に授けた。松寿丸十一歳のことである。

姫路では、官兵衛、光、職隆らが善助と太兵衛の帰りを今か今かと待っていた。
帰ってきてから顔をほころばしながら善助が松寿丸の様子を皆に聞かせていた。
そこへ光の兄である櫛橋左京進が姫路へ訪れた、去年自分の妹の娘である、鈴と花を引き取りに来たという
しかし鈴と花は光が面倒を見ると預かったと官兵衛は突っぱねる、しかし兄弟が争う原因を作ったとすべての責任を官兵衛に押し付け官兵衛を非難する、官兵衛も毛利、織田どちらについても播磨は戦乱に巻き込まれたと語る、両者は譲ることなく平行線をたどり対立は深まるばかりだ・・・・・

事態を重く見た官兵衛は光を同席させ、職隆と話した、どうやら左京進の居城である志方城では見知らぬ人物が出入りしているらしい、しかし左京進一人では何もできないどうしても主君である政職を説き伏せなければならない、その意見は官兵衛、職隆も同じで政職を繋ぎ止めれば家中はまとまると思っていた。
そのため官兵衛は一度御着へ赴くこととした、光も政職の正室お紺を見舞うためついていくことにした。

村重は本願寺との和睦のため石山に赴いていた、和睦の条件は石山を明け渡すことこの地は京と堺の間にあり交通の要所である、信長はこの地を中心に強大な商業都市を作ろうともくろんでいた。
しかし本願寺家十一代法主顕如は乗る気ではない、村重がこれまで見てきた本願寺門徒衆の状況を話題に出しながら説得するが、その門徒宗は信長に殺された者たちの縁者ばかり信長が死ぬまで戦い続けるといっている、説得することはできないであろうと・・・・・

織田の手に落ちた上月城は今は尼子家が守っている、尼子にも播磨じゅうの主だったものたちの大評定の話は来ていたが、毛利さん前線とのこともありこの地のとどまるように命を受けていた。
家臣山中鹿之助はお家再興のためほかの若い家臣に稽古を施していた、尼子義久はそろそろ休ませたらどうだと気遣いを見せやっとのことで稽古に一段落をつけた、しかしまだまだ体力の余っている鹿之助に義久はこの地にとどまるようにと秀吉から書状が届いたと伝えた。

御着では官兵衛と政職が碁盤をはさんで話をしていた、政職の待ったで官兵衛の話に耳を傾ける余裕が生まれた政職は官兵衛の相談に乗り始めた、例の左京進が鈴、花を引き取りたいと姫路へ押し入った件でる御着では左京進は官兵衛の悪口ばかり言っているそうだ、左京進は官兵衛に嫉妬しているのだと推測した播磨を平定したのは官兵衛の手柄であると政職も思っているようだそのような家臣を持っていると鼻が高いこれからのことも官兵衛に一任された。

官兵衛が囲碁を打っている間、光はお紺を見舞っていたそして腰をさすりながら左京進の話などをした
お紺は話が分かるらしくもし左京進が政職に何かよからぬことを話し出したら政職に言って聞かせる旨を約束した、お紺は斎の件で官兵衛と光に恩がある自分の目の黒いうちは恩を仇で返すようなまねはさせないと約束した。

それからしばらくして、官兵衛は秀吉の軍師半兵衛とともに三木城の別所へ赴いていた、もちろん播磨じゅうを集めた評定の件だ、官兵衛は今回は前回のようなことにならないようくぎを刺した、どうやら弟の重棟が兄賀相を説得し家中が一つにまとまったようだ、しかし半兵衛は三人を用心深く観察していた。

織田の使者として村重が再び本願寺へと赴いた、しかし本願寺は和睦を受け入れなかった、この不毛な戦いを終わらせたく村重も引き下がろうとしない、そんな村重を見て顕如はすべてを見透かすようにこんな質問をした「あなたは織田様を信じておられますか?」
有岡に帰り村重は荒れたまま酒を飲んでいた、飢えた門徒を抱え和睦に応じない・・・・・本当に根絶やしにされる、しかしその前に自分が信長に処断されるであろう・・・・その方が楽になれるかもしれないそう妻のだしに語りながら武士の面目もなく泣き出した・・・・・

一両日後村重は信長に本願寺の件について報告に上がった、報告に立ち会った光秀、長秀、一益は村重が厳しい懲罰を受けるであろうと思っていた、しかし結果は本願寺は滅ぼすまで、村重は本願寺がかたずいたら今度は秀吉の下につき毛利攻めに向かえというものこれは下手な懲罰より厳しいものだった村重はもとから武士で位もそこそこである、しかし秀吉は農民の出で出自も定かではないその下について仕事をせよなどと・・・・・長秀・一益は憐みの目で見光秀は言葉をかけ慰め、心中が怒りで震えている姿を秀吉は見つめていた。

同年二月、加古川城へ秀吉が入り、毛利攻めの表情を開いた播磨の主だったものが一堂に返した
その中で来ていないものもいるまた三木城の別所長治である、官兵衛が事情を聴くと賀相が代理できたという、そしてなぜか賀相は妙にやる気にあふれていた、自ら策やこれからの準備を別所家の習わしに従い説明していた、半兵衛が呼び止めやっと言葉が途切れたところで秀吉がこれからの攻め方や陣立ては我々に従っていただきたいと言葉をかけた、まるでそれを待ってましたとばかりに賀相が挑発的に秀吉に従えたと?と聞き返した。半兵衛が挑発に乗ってはならぬと声をかけようとしたところ咳が止まらなくなり忠告できない・・・・・・秀吉は挑発に乗ってしまった。
それを見計らい、左京進がある噂をほかの領主たちを見渡しながら語りだした。毛利攻めが終わったら播磨は秀吉の領地となる、この噂はどうやら本当のようだと・・・・・
官兵衛が収めにかかるが火に油を注ぐようなもの、まったく収まりがつかない、秀吉にも収拾がつかなくなってしまった。
そこへ賀相がこの話を暴きにかかる、我々を捨て駒にするつもりなのだと・・・・・
左京進が毛利につくと大手を振ってその場を離れ、賀相も同じように毛利つくと明言した、ほかの領主たちもこぞってその場から離れていった・・・・・
別所が毛利につくとなればほかの中小の領主たちはこぞって毛利につくだろう、残った者は半数に満たなくなっていた・・・・・

羽柴家だけになるのを待ってから、秀吉の弟小一郎が官兵衛に詰め寄る、なぜ縁者である左京進を繋ぎ止めておくことができなかったのかと、その件については半兵衛も見抜くことができなかったと官兵衛とともに頭を下げた、秀吉は官兵衛に確かに切り取り次第という話は出たが断ったという話を出したどこからその情報が漏れたのか・・・・
播磨に毛利の調略の手が伸びていたようだ、まんまと別所は毛利の調略に乗り踊らされたこうなれば東播磨を集中におさめていた秀吉が西と東で挟まれる形となる。

秀吉が播磨に入る少し前毛利の外交を一手に担っている安国寺恵瓊が播磨に入り暗躍していた、評定日は三木城にとどまっていた、左京進と賀相をほめたたえ輝元も喜ぶと話しながら左京進を精神的に取り込んでいた、賀相は大船に乗ったつもりだが長治は不安が取れないようだ「本当にこれでよかったのか・・・・」
賀相は大義を口にして長治を安心させようとする

加古川城の件を聞いて職隆はすぐに御着へ確認へ行った、政職はもちろんのこと重臣である小河、江田も知らぬことであった。
すぐに戦支度をしようとする政職を何とか抑えた職隆だが、政職は別の問題につかれていた、櫛橋家とは縁者だ疑われたらたまらぬ・・・・・官兵衛に伝えて本当に知らなかったことを説明してくれと・・・・・
気の小ささを露呈させてしまった・・・・・・

翌日善助を伴い志方城へ赴いた、すでに敵方となった志方城では戦準備を整えており官兵衛に敵意を含んだ視線を浴びせられる、何とか説得を試みようとする官兵衛だが左京進は口車には乗らぬと一切聞こうとしない、毛利では織田に勝てないと説明するその時恵瓊の眉があがった、「織田を買いかぶりすぎではござらぬか?確かに織田に勢いはある天下もとるかもしれない、信長殿の気性ではあと五年か三年長くはもちませぬ」
官兵衛が重臣たちが信長を支えると説明する。
その時左京進が二人の話を終わらせた、「能書きはよい、話など聞きとうない、帰れ」
しかし官兵衛はひくことはない、左京進はついに太刀を抜き首元へ向けた、太刀を抜こうとした善助と左京進を凝視したまま制した
「心変わりするのならこの首は喜んで捧げる、それがしが憎いばかりに兄上の目は今曇っておられる、ここで毛利につけば戦は長引き多くの人が死ぬ、この乱世を終わらせるためにも」
左京進は答える代わりに太刀を右に振りぬき鞘に納めた、官兵衛のほほが軽く切れ一筋の血が流れる
「帰れ!次にある時は戦場だ、その時は容赦なく切る」
恵瓊も「いずれまた」とその場を立ち去った・・・・・

軍師官兵衛 第十四話「引き裂かれる姉妹」 あらすじ ネタバレ [ドラマ]

福原城は官兵衛と半兵衛の二人が軍勢を率い、わずか一日で落としてしまった。
次は上月城である、しかし上月城には光の姉力が嫁いでいる官兵衛は上月城主上月影貞に降伏するよう開城を進めていた、しかしいまさら織田に寝返ることなどありえないと影貞は断った。すでに力も影貞も覚悟はできているようだ。

官兵衛が本陣に戻ると半兵衛たちと秀吉が軍議を進めていた、調略の失敗を報告した。
即座に上月城を攻めるべきだと進言する官兵衛に対し秀吉は焦りを見てている官兵衛に不安を覚えていた
しかし播磨じゅうに織田郡の強さを知らしめる戦いである此度は時間をかけ調略している時間はない速さこそ重要な事項であると官兵衛は考えていた、自らを上月城の先鋒を務めたいと進言し秀吉が半兵衛の判断に従い先鋒を命じた。

善助、太兵衛、九郎衛門は軍議中武器を磨いていた、しかし上月城を攻めるとなると力とその娘たちの命が心配で仕方ない、その時はどうするのか?
官兵衛が軍議を終え戦法を務めることを皆に伝えた、しかし善助は浮かない表情だ、それを見た太兵衛が一歩前に出て、力とその娘たちのは必ず助けると言い出した、まずは戦に勝つことそれが第一だ、
余計なことは考えるなと兵庫助が官兵衛の気持ちを代弁した。

翌日黒田軍は勢いよく敵陣めがけ突撃していった、太兵衛はひとりより深く敵陣へ食い込んでいくそれを見た宇喜多軍が側面より黒田軍へ襲い掛かり逃げ道をふさがれた・・・・・
それを見た秀吉が半兵衛に官兵衛を助けるように言った、そのときすでに半兵衛は手を打ってあった。
半兵衛のさす指先にある軍勢が控えていた・・・・・

戦場では黒田勢が防戦一方となっている、そんな中で一人の騎馬武者が乱入してきた。
武者の兜に、三日月の前立てがついている。官兵衛はその武者が誰なのかすぐに察した。
山中鹿介だ。
それを見た敵軍は鹿介だ、鹿介だと我先に逃げ出した、それを気に黒田軍が押し戻し息を吹き返した
戦況を見て直家、影貞は兵を引き上げた、鹿介が深追いは無用と初日の戦闘は無事に終えたのだった

秀吉は鹿介の働きを手放しでほめたたえた、しかし秀吉の知る限り鹿介および尼子勝久が合流するのは翌日のことだった、しかし半兵衛の采配で一日早く戦場へ赴き二番槍を受けていたという。
その半兵衛は喜ぶどころか難しい顔をしている、鹿介が強すぎたせいで上月勢は籠城するだろうしかもそう簡単に音はあげないし、外へ誘い出すことも難しい・・・・・

疲れ切った体を引きずり上月城へ戻った影貞その影貞を迎えたのは二人の娘だった、しかし水の手を断たれてしまった長期間の籠城にはもはや耐え切れない・・・・・
しかし影貞は直家が再び兵を立ち上げ戻ってくることを疑っていなかった。

官兵衛が酒の入った瓢箪を抱え本陣を通りかかると、鹿介が三日月を見ながら願掛けを行っていた
「願わくばわれに七難八苦を」
官兵衛と酒を飲んでいると昔話を始めた、尼子家むかし毛利よりも大きな大大名であったしかし元就の謀略により次第に力をそがれ滅亡されしかも自らは捕えられてしまった・・・・
しかし脱出したという、(方法は仮病自らの股を切り赤痢と偽り厠へ通いつめ、見張りの隙を突き脱出をはかったそして、京で出家していた勝久を擁して、出雲へ返り咲いたそして毛利が大内家に進行しているすきを突き城を奪還しかし毛利本陣が戻ってきた際に元春に敗れ、しかも出雲の豪族たちを従えていたがそこまで行くとただの烏合の衆次々と裏切られまたも敗戦、京へのがれ信長を頼った、信長軍では明智軍に所属していたが、自ら先陣を切って敵将を打ち取る方法を明智にいさめられ、秀吉軍に移っていた)

毛利ではすでに上月城の状況が恵瓊を通じて知られていた、あとは直家がどう出るか・・・・
しかし恵瓊、元春、隆景をもってしても直家の底はしれない何を考えているのか全く読めなかった、だからこそ対織田に対しも役に立つと隆景は語った。

籠城を始めた上月城では家老の高島吉衛門が影貞に兵糧はまだ十分にあると声をかけた。
影貞は自信があった、まだ士気は高い、兵糧はある、そして宇喜多直家が援軍が来てくれると信じていた。
しかし宇喜多は半兵衛でも読めないほど動きがおかしい、本陣を引いたまま動こうとしない・・・・

恵瓊、半兵衛から読めない男といわれている直家、直家は本陣で女をはべらせ浴びるほど酒を飲んでいた仮病を理由に影貞の使者に合わないほど・・・・・
籠城から七日家老の高島が秀吉に謁見を求めた、その手には手見上げがある影貞の首だ・・・・・
主君の首と引き換えに降伏を申し出た。
半兵衛の調略でももちろん官兵衛の調略でもない・・・・・・
官兵衛の血の気が引いた、急いで上月城へ赴き力と娘たちを探す、一室の戸を開けると危うく力が娘たちを道ずれに後を追おうとしていた・・・・・
官兵衛が諭姫路へと連れて行った。
(この時秀吉に何とか力と娘たちの命を救ってくれるように進言しています、よく官兵衛が冷血な人というイメージがあるようですが、ほかの軍師よりも血の通った策をめぐらします。実際力と娘を救ったのは史実です)

力と娘たちは姫路の二の丸にこしを落ち着かさせた、落ち着いたところで力が昨夜のことを思い出し震え上がった、もっとも信頼していた家老に裏切られた、この世の地獄を見たと・・・・女のみでは弔い合戦もできず泣くことしかできない・・・・・

福原城と上月城が落ちたことは信長に即座に知らされた、安土に村重を呼び茶をたてふるまった。
もちろんそのためだけに読んだわけではない、村重の進言を聞き入れた石山本願寺との和解を進めるように言い放った。
しかし条件がある石山を明け渡すこと・・・・顕如を説き伏せよと・・・・・
仙千代を従え廊下に出ると上月城の家臣を皆殺しにせよ・・・・主の寝首をかくものなど信用できない・・・・

信長に味方しておいてよかった・・・・・政職は大いに揺れていたことなど露と忘れ言い放った、左京進は妹を救われたが官兵衛に手柄を立てられ苦々しい思いをしていた。
播磨は落ち着いた、わしも出るまでもなかったと笑った、お紺も笑ったが急に腹を押さえて倒れてしまった。

上月城には尼子勢が入ることになった、(この後毛利に攻められ、上月城が落ち勝久は家臣とともに自刃、鹿介は再び捕えられる、隆景が織田を相手にするときに使えると考えたからだ、しかし輝元は許さず密命をだし毛利領への移動途中に暗殺されます、享年三十四歳自らの願いどおり七難八苦の人生だったそうです)
秀吉は信長に直接報告するため安土へ向かった、あとは半兵衛と官兵衛に任された、その夜矢文が飛んできた、文を出したのは宇喜多直家官兵衛ひとりで岡山まで来いという内容だった。半兵衛に断りを入れ岡山へ向かった。

岡山へ赴いた官兵衛、内容は織田へ寝返ることだと思っていたが・・・・・
実は上月城の開城はすべて直家の策であった、高島を呼び出し入れ知恵を吹き込んだそうだ。
しかも織田にもつかずしばらく様子を見るという。
睨みつけていた官兵衛に向かって、この乱世汚いもきれいもない生き残った者が勝ちだと言い捨てた。

安土に報告に行くと三河の家康と狩りに出かけた後であった。
しかし報告に来ることは知っていたため褒美を用意していたようだ、褒美は名物茶器乙御前だ。
信長の大切にしている名物茶器であった。秀吉にはまだその差はわからないがこれから学べばよいこれで名実ともに、勝家、長秀と並んだことになる。
(なぜ茶器をもらっただけで名実ともに勝家、長秀と並んだことになるのか・・・・・・それは茶器をもらったということは信長の主宰するお茶会に招かれるということだからです、この茶会は織田家の家老や重要な大名でなければ呼ばれないから)

力は影貞を弔うため出家することにした、子供たちは光に任せることとなった。
数日後雪がちらつき始めたその中二人の姉妹鈴と花は姫路を走り回り真っ白な雪に手を伸ばしていたそれを官兵衛と光は縁側からやさしく見守っていた。


軍師官兵衛 第十三話「小寺はまだか」 ネタバレ あらすじ [ドラマ]

秀吉が姫路へやってきた、しかし姫路は片付けでドタバタしていた、秀吉が尋ねると官兵衛が姫路城を秀吉にすべて提供するという、そのような話はいまだかつて聞いたことがないと感嘆した。
官兵衛は姫路城の二の丸に住むことになった。
光とも初めて直に対面した、もちろんそこは「人たらし」たる秀吉、光のことを誉め、官兵衛にも義兄弟のあかしとして誓紙を書いた。
官兵衛も大喜びで受け取り、大事そうに木箱にしまった。

その翌日職隆が本丸を横切ると、一人の男が本丸を見上げていた、その男は半兵衛であった。
職隆が尋ねると、どのように姫路を落とすのかを考えていたという。
しかし、姫路は小さい城だが家中の結束が高く落とすのは容易なことではない、調略をした方が兵の損失を避けいいという結果を引き出したが、調略も難しい・・・・

二の丸に赴いた手狭なので官兵衛がいないことは見渡せばすぐにわかる、官兵衛は姫路に秀吉が来てるということで謁見するように播磨じゅうを説得して回っているという。
光から秀吉から義兄弟の契りを結んだということを聞いたが、職隆は御着がどう思っているのか心配になってきた。

官兵衛が秀吉に姫路城を明け渡したことを政職に注進していた、どれだけ不興を買うかと思っていたところすでに了承していることだという。
小河が危惧するのは姫路を渡したことで厄介なことが起きないかである・・・・
しかし政職は斎の代わりに松寿丸を人質を出してくれた官兵衛にたいし気弱そうに、庇護した。

その頃官兵衛は別所長治の前に座していた、そこには賀相、重棟が両脇を固めている
秀吉へ謁見するよう姫路へ赴いてほしいと・・・
しかし賀相はもともと毛利方なぜ敵方である姫路へ行かねばならないのかと拒否する。
官兵衛は秀吉に姫路城を献上したと説明した、重棟は織田方である重棟が説得し長治がうかがうと約束した。
官兵衛の働きで播磨の地侍はあらかた謁見しに来た、まだ来ていないのは小寺、別所、上月、福原である
上月、福原は毛利方残っているのは別所と小寺だけだ、そこへ三木城から別所の来訪が告げられた
その姿を見た官兵衛は腰を抜かしそうになった、そこにいたのは長治ではなく、叔父の重棟であった。
官兵衛は重棟の後を追いかけ事情を聴いた、やはり賀相が納得していなく、行くのであれば自分を切ってから行けと・・・・・三木城はいまだに毛利、織田で割れているらしい、そこは何とか重棟が説得するとのことだ
話の途中御着城からという声が聞こえその後ろ姿を見て官兵衛の鼓動が早まった。
来ていたのは政職ではなく、小河であった、両者とも言い訳は同じく流行り病、秀吉は不満をあらわにした。

御着に官兵衛が行くと政職は気まずそうに席に着いた、秀吉は足軽上がり、小寺とは格が違う・・・・・
そこに官兵衛が義兄弟の契りをいただいたと口を滑らせてしまった、そこは政職すぐさまふてくされぜったに行かない義兄弟であれば別にかまわないだろうということらしい。

秀吉が予想していた以上に播磨の地侍は一癖も二癖もある、同席していた半兵衛に相談する。
小寺は官兵衛、別所は重棟この二人を抑えておけばいいと助言した。
その助言に秀吉はひらめいた、重棟には娘が、官兵衛には松寿丸がいる、若いがよい組み合わせだ。
秀吉の用が済み、廊下を歩いていた半兵衛が咳き込む、その咳は次第に激しくなり、手には鮮血がついていた。

長浜城では、のちの福島正則と加藤清正と稽古に打ち込んでいた、しかし二人とも松寿丸より年長で体も大きい、かなうはずもなく倒されていた、見かねたおねが二人に手加減するよう促すが松寿丸が遮る、母である光より手加減されては戦場で役に立たないと教えられていた、おねは自らの過ちを詫び三人に思う存分やるよう伝える。

本願寺との戦は果てしなく続いていた、村重は徒労感に襲われていた。
そんな中陣中に本願寺と通じて、兵糧を運び入れているという、村重の顔色が変わった。
そんなことが信長に知られればどうなることか。
一方右近はこの戦に意味を見いだせずにいた、この長い戦の果てに何か良くないことが起きるのではと・・・

信長は天皇より従二位大臣に任命されていた、武士の右大臣任命は源実朝以来300年ぶりである。
そこへ祝いを言いに来た、光秀、村重
村重に本願寺のことを質問され、いったん和睦を結び兵を引き立て直しを図るよう進言したが一蹴されてしまう。
毛利からの兵糧を断つ!しかし水軍は破れてしまっている・・・・・
そこで信長は策を一つ考案していた、鉄鋼船を作らせているというそこへ南蛮渡来の大砲を積むという。
それを聞き村重は背筋が凍る思いだった。

松寿丸の縁組の話は官兵衛は乗る気だが、光はいささか不満そうだ人質に出していたこの先どうなるかわからないのに先のことなど考えられないという、そこへ秀吉が酒をもって訪ねてきた。
官兵衛は恐縮そうに話をしていた、それを見て光は心配になってきた。

同じ夜、職隆は半兵衛と飲んでいた、御着の殿はまったく腰を上げる様子がない職隆の予想が当たった、官兵衛も説得に赴いているが、義兄弟の件を聞き意固地になっている。
半兵衛が笑いながら子供の用だと相槌を打つ、そして職隆の心配事がもう一つある。
それは官兵衛の熱中する悪い癖だ、子供のころから思い込んだら一途周りが見えなくなる・・・・・
それを聞いた半兵衛は官兵衛の足を引っ張るものの正体をつかんだ。

何日かした日半兵衛が姫路を訪れた、官兵衛に秀吉からもらった義兄弟の誓紙を見せてほしいと・・・・
それを一読するなり囲炉裏に投げ入れ燃やしてしまった・・・・・
何か大きな勘違いをしている、このような下らぬものにうつつを抜かしているから、肝心なところを見落とす何のために播磨じゅうを駆け回っているのか、紙切れより大事なものがあるはずだ、大義の前につまらぬ面目など無用

秀吉のもとに来た官兵衛秀吉は誓紙の件をすでに聞いていた、しかし官兵衛はすがすがしい顔をしていた
秀吉が政職に会いに行くそれが上策、しかし信長の名代としてきている秀吉がおめおめと会いに行けるはずがない、官兵衛に一計があるという。
数日後、官兵衛、善助、九郎衛門、太兵衛のほかに農民にふんした秀吉が御着に登城した
政職に謁見した秀吉は気さくに笑いかけ、こうでもしないと会えないと・・・・・
自分も流行り病かかっていた、治ったので会いに来たという、播磨の西に兵を進める力をお借りしたい、それともう一つ官兵衛を播磨平定のためお貸しいただきたい。
政職は快く了承した、一瞬で政職の扱いを秀吉は理解してしまった。

十一月末秀吉の八千の軍勢が西播磨へ向け進軍した、狙いは福原城。
官兵衛は一つの策を提案した、「囲師必闕」孫子の策で、逃げ道をわざと用意して、その背後を討つ
兵の消耗は少なく、絶対の効果を発揮する。
秀吉はその策を採用し半兵衛と官兵衛に任せた。
「半兵衛殿がおっしゃった、紙切れより大事なことがわかりました。天下統一。天下統一がなれば戦はなくなります。」
「さよう。この乱世を終わらせるのでござる。それこそが拙者の大義。一度は世を捨てた身ながら、秀吉様のもとにはせ参じたのもその大義のため。乱世から天下泰平の世へとつくり替えるでござる。これほど面白い仕事はござらぬ。そのためにわれわれ軍師は働くのでござる」
「われわれ?それがしもですか?」
「そう、あなたも。軍師官兵衛殿」

軍師官兵衛 第十二話 「人質松寿丸」 ネタバレ あらすじ [ドラマ]

天正五年(1577)松永久秀が三度謀反を起こした。
(松永久秀といえば宇喜多直家と同じく、主君を裏切り毒殺し大名にのし上がった人です。もともとは三好家につかえていましたが、三好家の主だったものたちを次々毒殺し、将軍足利義輝を謀殺した人物です。
自らが大名となった時には信長に従っていたが、三度謀反を起こした、一度目と二度目は城をささげたり、茶器を差し出すなどして許しを得ていた、信長に松永は悪人だがあの才能は殺すには惜しいと言わしめたといわれている)
松永討伐に秀吉も駆り出される、一度命をそむいているため逆らうことは無論できない、また播磨への出兵がのばされる形となった、出兵の前に人質を取るよう秀吉に命じた。

御着にも人質を出すようにとの書状が届いた、もちろん斎であるが政職は渋っている。

同年九月重陽の節句で職隆のもとに光と松寿丸が訪れていた、官兵衛は御着へ赴いているため遅れるらしい、職隆の妻ぬいが光に二人目はまだかと尋ねるが、職隆が強くたしなめた。

そのころ官兵衛は政職から斎のことで相談を持ちかけられていた、どうやら斎が病に臥せっているらしい、これでは人質に出せない、期間を延ばすようにお願いできないかと・・・・・
松寿丸は祖父である職隆より官兵衛の子供のころの話を聞いていた、官兵衛が敵の策略を見抜き助けられたことがあったと、そして松寿丸はどうしたら父や祖父のような立派な男になれるかを聞いた。
見聞を広めることそれが祖父職隆からの答えだった、

安土では信長が息子の信忠を呼び出し、松永久秀討伐を命じた、すでに信忠に家督を譲っていたが、自ら力を示さねばこの乱世ではいつ下剋上をされるかわからない、それにはこの討伐はいい機会だった

北国では勝家が謙信に敗れた、しかし謙信は上洛する気はなく謙信上洛を読んでいた松永久秀は孤立無援となったのである。

二度も人質の延期を求めた小寺家に対し秀吉は早く人質を出すよう催促の手紙をよこしていた、官兵衛も焦燥に駆られていた、そのことを政職に進言するが・・・・
最初は仮病だった斎だが今は本当に高熱にうなされとても人質になりえなかった・・・・・
(この時にはすでに政職は織田を裏切るつもりでいたようだ、史実では信長にも謁見していなかったという人もいます、そしてこの後の秀吉の謁見はついには果たされなかったとも言います、さらにいうともうことあるごとに官兵衛が自分のことをいさめるので官兵衛のことをわずらわしく思っていたようです)

姫路に帰り光に松寿丸を人質にしたいと相談した、もちろん光が承諾するわけもなく人質にして一番の心配事は主の政職である、あの優柔不断さ決断のなさいつ毛利に寝返るかもわからないそうなれば松寿丸は殺されてしまう・・・・・

同年十月十日松永久秀のこもる信貴山城は陥落の時を迎えていた、久秀は信長が一番欲している茶器である「平蜘蛛」を抱え、天守い火薬を置き、信忠軍の前で平蜘蛛をたたき割り火薬に火をつけ城もろとも爆破し自害した・・・・
(補足として松永久秀は京の商人の生まれであるとされている享年63歳?だったかな?)

秀吉から人質の期限が過ぎてしまった、別所、赤松ではすでに疑いの目で見られている、しかし政職は斎を人質に出すつもりはない、官兵衛は打つ手がなく途方に暮れていた。

官兵衛はもう一度、光に相談した、そこへ松寿丸が入ってきて自分が人質になると言い出した。
必死に説得する光に対し松寿丸は落ち着いた様子で見聞を広めたい、子供のころ官兵衛も職隆を助けたことがあるとの話をし自分も父を助けたいと・・・・・

政職は官兵衛と松寿丸に感謝してもしきれない様子で泣きじゃくっていたこれでやっと落ち着くことができる
出立の日祖父職隆、母光にあいさつを交わし、官兵衛が付き添い、護衛に善助、太兵衛、九郎衛門が付き安土へと発った。

安土では信長自ら接見した、一緒に信忠もいる信忠はなぜ小寺から人質が出ないのか?従う気がないのではないかと疑ってかかる、そこを何とか説得し松寿丸を代わりの人質として預けることを承諾させることができた、松寿丸は秀吉の長浜城へ預けられることになった、官兵衛はこれは信長の厚情と受け止めた。
(長浜では石田光成、福島正則などがいるこの時交流を持ったしかし石田光成と福島正則はこの時から仲が悪かったようだ、このことが原因ではないがそれがもとで朝鮮出兵が失敗する、そしてこの時福島正則の性格を把握することで、家康に福島正則を従わせることができたとされる)

長浜に松寿丸を連れて行った、そこで秀吉、おねにしっかりと松寿丸があいさつをした。
おねが官兵衛にしっかりと松寿丸を育てますという言葉を聞き、秀吉、官兵衛がやっと一息ついた。

秀吉の行動は迅速であった、十月十日に松寿丸を長浜に送り届けそこから十月末には軍勢を連れ播磨へとついていたからだ。

軍師官兵衛 第十一話「命がけの宴」あらすじ ネタバレ [ドラマ]

毛利水軍に織田の水軍が破れた・・・・・
これでは播磨が大きく揺れる・・・・官兵衛は危惧したもちろん主君政職が大きく揺れ動いていた
その頃ようやっと秀吉から書状が届き播磨への出兵が決まった、その報告を受けた政職が困惑していた
毛利になびいていたのだ・・・・・

その後織田方ではすでに状況が変わっていた、上杉と北条が足利義昭の仲介で和睦を結んだ。
背後の憂いがなくなった謙信は上洛をするかもしれない、それに備えなければならない、
北陸へ兵を送ることを決め播磨への出兵は取りやめられた。
いかに秀吉が説得しようとも信長の意見が変わることはない。

秀吉の名代として半兵衛が出兵が遅れることを伝えた、半兵衛の態度に官兵衛は腹を立てていたが
半兵衛の助言により宇喜多直家を味方に引き入れることを提案される。
光の姉は上月城主上月影貞に嫁いでいる、影貞は宇喜多方に通じている。
そのつてを頼れば宇喜多に会えるかもしれない、官兵衛にしかできない仕事であった。

光に力に向け宇喜多直家と会えるように文を書いてくれるように頼んだ、官兵衛は喜んで書いてくれるもの
と思っていたが、光は渋った、宇喜多直家といえば闇討ち、だまし討ち、毒を盛るなど手段を問わない
危険な男光はそのことを知っていた。
もし官兵衛に何かあれば・・・・・
そう思っていた、何とか光に文を書いてもらい取次ができた

上月城へ赴いた官兵衛、影貞に織田になびくことの利を説いた。
そこへ火中の人物宇喜多直家が入ってきた、直家は官兵衛が会いたがっているという噂を聞きつけ
赴いたという、官兵衛の頭の中の考えていることは直家には手に取るようにわかっていた。
官兵衛は屈託なく正直に答えると直家に一応は気に入られたようだ、酒を勧められその酒をいっきに
のみほしさらに度胸があると気に入られた・・・・・しかし隣で酒を飲んでいた影貞の家臣内藤が
倒れた・・・・・毒を持っていたらしい内藤は織田と内通していた。
裏切り者は許すことはない、宇喜多直家という男のことがよくわかる日だった。

ついに政職は待ちきれなくなった、毛利と二股をかけると言い出した、自分ではよい策だと思っている
ようだが、もしことが信長に知られれば織田に滅ぼされる・・・・・官兵衛は最後の手段に出た。

摂津に赴いた官兵衛荒木村重に兵を借りようと赴いた、しかし村重も兵を出す余裕がない、
ふと隣に若い武者が控えている、そのものの名は高岡城主高山右近である(キリシタン大名ですね)
キリシタンを村重とともに広めているらしい、村重の嫁だしもキリシタンとなっていた。
いつもは明るい村重が門徒衆との戦いで心底疲れ果てていた・・・・・

姫路へと帰ってきた官兵衛に秀吉から書状が届いていた。
兵はまだ出せないこれから北国に赴く、官兵衛のことを弟の小一郎と同じに思っていると記してあった
しかし官兵衛がほしいのは文ではなく、秀吉と兵だ・・・・

北国に赴いた秀吉は正面から上杉とぶつかるのは得策ではないと考え策を講じようと勝家に進言
勝家は秀吉を小ばかにした、それが癇に障りついに勝家に力任せに攻めるしか能のない石頭と
ののしってしまった・・・・・
秀吉も引けずについには兵を引き上げ長浜に帰ってしまった・・・・・

官兵衛は秀吉の行動の情報を聞きつけすぐさま長浜に発った。
秀吉は信長の性格をよく理解している、決して許されない切腹を申し渡されるのを覚悟していた。
半兵衛が来て沙汰の内容を聞くとまだ出ていないとのことだ、秀吉は死ぬのであれば最後に飲んで
騒いで死ぬと酒を飲み始めた、半兵衛もそれはよいことだと賛成した
長浜についた官兵衛は騒ぎを聞きつけた、秀吉が泥酔して官兵衛に絡んでくるそれを見て官兵衛は
怒りが込み上げてくる。兵を出すといいながらいざ来てみればこの騒ぎ・・・・
秀吉が謝りながら北国よりも中国の毛利間違ったことはしていない、どうせ死ぬのなら騒いで死ぬ
命を懸けて騒いでいる・・・・・
案外よってはいない、半兵衛が横にきて状況を説明する、心のうちをさらけ出しているという静かに
蟄居していると戦支度をしていると思われるしかし騒いでいればそのようなことはないとわかっていただける
もしこの賭けに勝つことができれば・・・・・
そこへ小六が絡んでくる「わしはおぬしらのようなしたり顔したものが嫌いだ」
その言葉を聞き秀吉が今生の別れ言いたいことを言い合おうをと
真っ先におねが女遊びは大概にしろ!と秀吉に言いかかる。
次に小一郎兄者は賢いが思いついたことはすぐにやろうとする、後始末が大変だ!!
官兵衛に謝りながら秀吉が「口だけになってしまった、命に代えても播磨へ兵を出させる。」
官兵衛がその言葉を聞き秀吉を疑っていた自分が情けなくなってくる、秀吉は本当に自分のことを弟だと
思ってくれている。
信長の使者が来て安土へと・・・・・
一気に酔いがさめたしかし秀吉は穏やかな顔をしていた。

信長が部屋へ入ってきた、「猿下らぬ真似をしおって、播磨へ行け、毛利攻めを始めよ」
「今度バカ騒ぎするときはわしも呼べ」といいながらにやりとした。

長浜では皆が待っていた、そこへ陽気な声で秀吉が「おとがめなしじゃ、官兵衛播磨へ行くぞ!」
官兵衛は秀吉の目を見返した。

軍師官兵衛 第十話「毛利襲来」あらすじ ネタバレ [ドラマ]

天正四年(1576)五月
田畑にいた農民たちは桑の代わりに武器を取り姫路へと入った、官兵衛たちは武具を身に着け戦に準備に取り掛かっている。
光の指示のもと女たちは台所で飯の支度に取り掛かっていた。
英賀の港では次々毛利の兵と武器弾薬が近くの森の中の英賀御堂へ運ばれていた、黒田の物見は一連の動きを見定めると姫路城へ戻っていった。
兵の数はおよそ五千、その数を聞き官兵衛もわれを忘れるほどだったが、すぐに精神を建て直し自分を奮い立たせ檄を飛ばし出陣した。

毛利の軍の大将は浦宗勝、本陣は英賀御堂に構え、そこに一向宗の門徒たちが次々と集まっていた。
その中に、お道、おゆう、お竹の姿もあった。

小寺の大将はもちろん政職、しかし政職は五千という数を聞きすでに戦意を喪失している。
足元は定まらずやっとの思いで出陣した。
本陣では小寺重臣たちで軍議が開かれている、左京進が食って掛かる官兵衛の失策であると・・・・・
政職の唯一の望みは織田の援軍である、しかしすぐに援軍が来るわけもない・・・・・
それがわかると政職は立場も人目もはばからず狼狽した、官兵衛だけは何とか策を講ずることができないか考えを張り巡らせていた。
そんな中経験の少ない若い武士たちは震えていた、いきなり五倍近い兵力と渡り合わなければならないのだ当然のことだ、兵庫助が「敵は五千・・・・・これだけの手勢で勝てるのか・・・・」
その言葉を聞いた太兵衛が歩み寄り声をかけた
「簡単な計算です、一人四人倒せばよいのです、残りの千人は私が一人で倒します」
太兵衛が豪快に笑って見せた

同じころ信長は天王寺砦で一向宗と対峙していた、石山本願寺を包囲していたのだが一向宗の抵抗が激しさを増していた、たまりかねた信長はわずかな手勢を率いて前線に打って出た。
信長は激を飛ばしながら自ら馬上で槍をふるい敵を倒す、しかしそこへ敵の鉄砲隊が到着し信長の周囲の手勢が倒れていく、信長も足に銃弾を受け落馬したそこへ敵が襲い掛かる!!
間一髪秀吉が鉄砲隊を引き連れ到着し敵を一掃した
しかしそれでも信長はひこうとはしない秀吉は自分を盾に使ってくださいといい信長とともに突撃した。
そのあとを仙千代が檄を飛ばし、兵は唸り声をあげ一丸となり敵中へ押し出していった。

英賀御堂の本陣の境内では雑兵たちがかがり火を囲み酒を飲んでいる。
その中に官兵衛の命で潜入していた善助もその輪の中に加わった。酒を一口であおり一言不安を口にした
「しかし酒なんて飲んでいていいのかのぅ・・・・今攻められたら・・・・」
しかし雑兵たちはこの兵力差にたかをくくっている攻めてくるわけがない、敵はこの兵力差ですでに戦意を失っているものと思っている
「明日には播磨じゅうの一向宗が加わる、その時姫路をひとのみじゃ」
善助がその言葉を聞きその場を離れようとすると、女たちが握り飯を持ってきた。
その中に光の侍女を務めていたお道もいた、善助がお道に気が付きはっとして足を止めた・・・・
お道も善助に気が付くが目で合図しその場を立ち去るように合図した。

この夜三木城の別所では小寺に援軍を送るかどうかもめていた、武士の義を重んじ援軍を出すべきと主張する当主の長治しかし後見役の叔父二人がそれを許さない、援軍を出せばいたずらに兵を減らすだけもともと毛利方の賀相はもちろん、重棟も援軍を出すこと了承しない。

小寺の本陣に偵察から善助が戻ってきた。
毛利は明日総攻撃をかける、今夜は動かないことを知らせると、官兵衛は善助に労をねぎらった
その報告を受け政職、職隆とともに戦術をはかった
政職は御着へ帰り時を稼ぐ方がいいと、思っているようだこの期に及んでまだ援軍を期待している
しかし官兵衛は今攻めねば敵は勢いをまし不利となる、そこで油断している今、明日の霧に乗じて攻めると進言、しかしそれだけでは五倍もの兵力差をひっくり返ることはかなわない、一つ策を施すとういう。
そのため職隆に姫路へ戻り領民たちを集めてくるよう伝えた。

夜更け姫路城の庭に近隣の領民が集められた
しかし男ではすでに兵として駆り出されている、いるのは年寄りしかいない戦うわけではない年寄りで構わないという職隆の言葉に領民たちは戸惑いを見せている
休夢がはっぱをかけた「褒美ははずむ、金に糸目はつけぬ!」
この言葉に領民は喜色の色を見せた、姫路の黒田家はこの方領民をだましたことはない勇んで村へ帰って行った。
姫路城では女たちが夜なべをして何かを作っている
布を縫い合わせ、布が足りなくなると紙を張り付け、それでも足りなくなると自らの小袖をほどき旗を作っていた。

夜が明けようとしている、官兵衛の予想通りあたりに霧が立ち込めている。
地の利を得ている官兵衛の軍勢が静かに森の中を進んでいく、「かかれ!!」
官兵衛の号令のもと黒田軍が一斉に攻め入った
「敵だ!」物見の声で、宗勝が飛び起きた。
油断していた毛利陣営に火矢が次々とはなたれ、黒田軍が斬りこんでいく太兵衛が軽々槍を振り回し、若手の九郎衛門や兵庫助も敵を倒していく
宗勝が声を上げ混乱している軍を立て直そうとする、官兵衛は戦況が見渡せる後方に位置し背後に控える善助に命じた、善助が旗を振り森の奥に合図を送った

森の奥では領民たちを率いて、職隆、休夢が待機している、旗の合図とともに領民たちに
旗を揚げ、太鼓を打ち鳴らし、貝を吹いて、声を上げ進軍するかのように地鳴りを上げさせた。
宗勝はそれを聞き振り返った、白みかけた朝霧の向こうにいくつもの旗が林立しているのが見て取れた
援軍の報告を受け悔しながら退却指示を出した。

官兵衛は事の詳細を政職に報告した、勝ったには勝ったが官兵衛はこれは単なるゆさぶりだと見抜いていた、それを聞き政職がうんざりした。
小寺が屈しなければ今度は脅しではなく本腰を入れて攻めてくるその時小寺の兵だけではとても耐えきれないその時にこそ信長の援軍がなければ・・・・・

小寺勢が勝利した知らせは村重を通して信長に伝えられた。
圧倒的不利な状況の勝利官兵衛の一策があってのことだろうとわかっている。
「書状を出して褒めてやれ」
半兵衛より、このたびの毛利の播磨進行は本願寺と示し合わせたものだと読んでいる、本当の戦はこれからだと信長は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

毛利へ逃げ込んだ足利義昭は小早川隆景より英賀の戦の詳細の説明を受けた、しかし義昭は毛利の庇護を受けていても自分が将軍だという誇りが高い。
「毛利は強いと聞いてきてやったのにそんなに強くないのぅ、」
隆景は負けたわけではなく、役目を終えたので引き揚げさせただけのこと、脅しには十分な働きをしたと説明
すぐに次の手を打ち、その時に毛利の底力をお目にかけます、と自信ありげに説明した、やがてその自身のほどが証明される。

善助が姫路城の城門を出ると行き倒れと見紛う三人の女がうずくまっていた、その三人とは
姫路城を出て行った、お通、おゆう、お竹だ。
三人ともけがを負っており、特にお竹は重傷だった、善助はすぐさま城内へと連れて行った医者が呼ばれそこへ官兵衛がきた、善助が許しを乞うと官兵衛は気にせずに許した。官兵衛と善助が廊下で話をしていると中から光が出てきて首を左右に振った、お竹は残念ながらダメだったようだ・・・・・
お道が見舞いに来た官兵衛に手を付き城においてもらえるよう許しを乞うた、それをおゆうが遮った。
自分たちは裏切った身それは虫のよすぎる話だ・・・・・とおゆうは恥じていた
しかし光が言って聞かせる「殿も許してくださる、気兼ねなくいなさい」
官兵衛も「身の振り方は傷が治ってからゆっくり決めるとよい、今は傷を治すことに専念するよう」

信長の書状は建前を重んじ主君である、政職へ送られた、その書状を自分の手柄のようにお紺に見せる
「官兵衛に任せておけば万事うまくいく、あとは織田の軍勢が播磨へ入れば安泰じゃ、いつ来るのじゃ?」
その問いかけに対して官兵衛は「書状を出して確認します」
その時斎が絵をかいてもってきた、政職はその絵は自分だと思っているようだが、お紺が言うにあの絵は官兵衛を書いたものだという、斎は体が弱い、だから官兵衛のような強いものにあこがれるらしい

政職はしばらくは戦のことは考えたくないのだろうしかし織田と毛利に挟まれた播磨ではいつか大きな戦が起きる、その時は織田の軍勢の力が必要となる、姫路に帰ってさっそく筆を執った。秀吉に書状をしたためるためだ、そこへ職隆が酒を持ってやってきた、酒を飲みながらこれからどのように援軍が来るまでの間耐えしのぐか考えていた。
お道は傷が少しいえると働き始めたしかしまだ完全に傷が癒えていない・・・・
井戸から水を汲もうとするが落としてしまった。そこへ通りかかった善助が手伝う、話をしてみると、善助とお道には共通点が多くあった、お道の父親は、官兵衛の祖父重隆につかえていたという。
その父を亡くし母も早くに亡くした、善助も早くに両親を亡くしている、しかも善助とお道の生まれた村は隣通しだという。

官兵衛の書状が長浜の秀吉のもとに届いたが・・・・
長浜の秀吉はそれどころではなかった、妻のおねがいなくなってしまったのである。
そこへ官兵衛の書状を携えた佐吉(三成)がおとずれた、秀吉が佐吉におねの居所を聞くと、なんと朝早く船をだし安土へ赴いたという。
安土とは信長が新しく城を築いている場所で長浜が琵琶湖の北に位置するのに対し、安土は東側に位置している交通の要所である、秀吉は急いでおねのあとを追いかけた。

おねの見繕ったお土産を楽しそうに見ている信長、おねは日ごろの秀吉の浮気をお濃に聞いてもらっていた
お濃の考えが少しおねと違っていた、跡取りを生むのは確かに武家のおなごの役目だしかしそれだけではないと思っていた。夫を支えるのも妻の役目と・・・・
「気のすむまでこの安土にいるとよい、秀吉にきつくお灸をすえてやるとよい」
と笑った、それを後ろで聞いていた信長が会話に加わった。
「秀吉にとって、おぬしはできすぎた女房だ、ほかの女にうつつを抜かすとは言語道断、お前のような女房は二度と手に入るものではない」
その言葉をそのまま手紙としてしたためるようにおねが頼んだ、お濃も口添えをした、
信長が笑い出し、おねの考えを読み取った「最初からそのつもりであったな、この信長に痴話喧嘩の仲裁をさせるとは大したおなごじゃ、しかしお前ほどの女房はめったに手に入らぬがお前も正室だ堂々としておればよい悋気など余計なことだ、よいな?」
長浜に帰り、秀吉の前に座ったおねは信長の書状を差し出した、それに目を通した秀吉「おね、わしが悪かったおぬしあっての儂だ、これからは心を入れ替える故、上様を巻き込むことだけはやめてくれ」
手をついて謝った
(信長の説得の仕方が史実と少し違いますね、説得の仕方は確か、信長は秀吉がいかに仕事上では素晴らしい働きをするのかを説き、そのうえで、ほかの女にうつつを抜かすことはいけないと言い聞かせ正室である故堂々として、跡継ぎを残さなければならないということを理解させ、少しは我慢せよと説得し、秀吉には女遊びはほどほどにして妻を大事にするように手紙を書いたとされています)

英賀の戦からふた月後の七月、摂津の木津川の河口付近で、本願寺への兵糧を運び込もうとした毛利の水軍と織田の水軍が激突、織田水軍が大敗を喫した、時期が時期だけに織田の敗北は衝撃を伴い各地へと広まった、信長包囲網は勢いを増していく、やがて播磨を巻き込み天下を揺るがす新たな危機をもたらすことになる。
(村上水軍ですね、この時村上水軍は巧みな海戦と策、船の配置、そして火計といいますか火炎壺を投げ織田の船を次々と燃やし沈めたいったそうだ、そのことで信長は鉄鋼船を作ろうと考えるとか考えないとか、信長の考えは、その当時では群を抜いて突飛なものでしょう、朝倉を攻めるときも朝倉領はそこまでいい土地とはいえません、しかし強引に攻めようとしました、それで周りは、浅井、朝倉に対する怨恨だと考えるわけですが、実は違います、本当は朝倉領の港がほしかったとか、港を得れば流通で財を築けます、しかしその当時流通で金周りをよくするなどだれも考えなかったといいます、流通の考えが出てくるのは江戸時代になってからです、信長もかなりの天才だといえるでしょう)



軍師官兵衛 第九話「官兵衛試される」ネタバレ あらすじ [ドラマ]

翌日秀吉は急ぎ岐阜へと戻っていったが、竹永半兵衛が官兵衛に会いたいとのことで三成が迎えに来た
官兵衛はかの有名な半兵衛に会えるということでわくわくしていた。
互いに名を名乗り挨拶を交わし官兵衛がご高名はかねがね、稲葉山城での出来事秀吉のもとでの働きなどうわさを口にした。
しかし半兵衛はうわさはうわさそのような真偽の定かではないものを信じているとは、秀吉から聞いていた官兵衛の切れ者というイメージ秀吉の悪い癖といいながら官兵衛値踏みするような目で見た。
そして官兵衛にどのようにして播磨を平定するのかその策を聞いた。
「武力では時間がかかりすぎるため、もちろん調略にて」その言葉に半兵衛はだれでも思いつくようなことは聞きたくはない、ほとんどが毛利についている播磨をどのようにして形勢をひっくり返すかという策を聞きたい
という言葉に出ばなをくじかれ、考えを張り巡らせる。
「それでは、播磨の大きな大名御着の小寺、三木の別所、龍野の赤松、この三家を信長様にそろって謁見させます」
半兵衛は播磨の情勢をよく調べている三木の別所はともかくとして、小寺長年の宿敵である赤松は同心死なしのでは?
という言葉とその人を食ったような態度でその場を立ち去った。

官兵衛は怒り心頭だ・・・・・
すぐさま姫路に帰ると帰り支度を始めている、おねに顔をだしあわただしく姫路へと戻っていった。
その後半兵衛が姿を現した、おねが何を吹き込んだのかと尋ねると
「尻を叩いたまでのこと」無表情で答えた
おねはくすりとわらい「半兵衛殿のことさぞ痛いところを叩いたのでしょう?」

信長が天下を取るには戦国大名の頂点に立つとともに、膨大な数の門徒衆を抱えて大名に匹敵する勢力一向宗を支配下におさめなくてはならない。
この年越前の一向一揆を鎮めるための制圧手段を巡り、秀吉と勝家でもめていた。
長島の一向一揆衆と違い一枚岩ではない越前の一向一揆衆は調略し仲間割れをさせ兵を温存するべきと考える秀吉
しかしそれは臆病風に吹かれた考えだとはねのける勝家
方法よりも結果を求める信長
そして秀吉の考えを見通している信長、播磨への出兵を求めている秀吉の考えを読んでいる
「播磨へはまだ兵は出さぬ、しばらくは官兵衛にやらせておけ、失敗したときはそれまでの男ということだ」

播磨へ戻った官兵衛は信長との謁見について政職へ報告した。
そして、信長に会っていただきたいとの進言をしたが・・・・・もちろん政職がすんなり了承するわけもなく
ほかの重臣たちも小ばかにしている、播磨の敵同士である別所、赤松と一緒に謁見など実現するわけがないと・・・・・
左京進が「官兵衛の面目もございます、ここは赤松、別所がそろうのであれば、殿もいかれるということでどうでしょう、まそろえばの話ですが・・・・・」
左京進が皮肉交じりに提言しそれを政職が承諾した

赤松と別所を探っていた文四郎が戻り、官兵衛、善助、九郎衛門が額を合わせた
赤松は長年の恨みにより聞く耳を持たぬとのこと、別所は初めこそ織田方だったがここにきて毛利方の長治の叔父賀相の一派も力を持ってきており二つに割れ始めたという
また調略を仕掛けるにしても織田方の重棟か毛利方の賀相で違う・・・・・
投手の長治は二人の叔父の傀儡である・・・・・
最後に文四郎から長治は政を叔父に任せ書物ばかり読んでいるということ
その報告を受け官兵衛に何かひらめいた。

頃合いを図り官兵衛は長治に面会した、長治の脇に控えている、賀相と重宗だがさっそくどちらにつくかでもめはじめ足並みの乱れが露呈し始めた。
官兵衛が当主長治の意見を求めると、賀相が世間知らずゆえ後見の儂の考えに従っている
そこへ弟の重宗も口をはさむ後見人は兄だけではないと・・・・・
「織田様に会いましょう」長治が凛と答えた。
「人に国柄を貸すなかれ」「六韜」という兵法書の言葉です、官兵衛殿に教わりました。
「道理を説けばわかっていただけると思い勝手ながら長治様に書状をお送りいたしました」
「今まで叔父上の顔をつぶさぬよう、遠慮しておりましたがこれでは当主は務まりません。それがしも十八もはや子供ではありません」
重宗は大きく首を縦に振り、賀相は不満げに顔をそむけた

数日後龍野城へ赴いた官兵衛、敵意がないことを示すため腰から太刀を抜き善助に渡した。
しかし見張りの城兵たちは小寺の重臣が来たと慌てふためいている。
官兵衛が案内を乞うと、中から重臣の林が出てきた、林の周囲では兵が弓を引いている
話をしたいという官兵衛に、林は話などないと突っぱねる。
「殺したければ話の後でもいいでしょう、しかし話も聞かず殺せば赤松は滅びます、すでに三木の別所もわれらと同心いたしました」
「広秀様にお目通りを」
林の顔色が変わり奥へと通された、荒い足音をたて広秀が入ってきた、もちろん去勢であることは官兵衛は素早く見て取った。

政職は赤松との交渉がうまくいったことに驚きを隠せない
「播磨の形勢を述べたまで、赤松は宇喜多に責められていました、織田方につけば宇喜多を追い払うことができ、小寺、赤松、別所が手を結べば龍野は安泰、宇喜多領を手にすることができと説きました、殿約束通り信長様に会っていただきます」
政職は落ち着かなくなった

官兵衛は事の次第をしたため長浜城の秀吉へ送った
打ち合わせのため御着城に行くと政職は斎と遊んでいる
赤松、別所はいつでもいいようだ、あとは信長の日取りに合わせて出立、なお献上品は馬がいいと進言した
政職は皮肉ったように「よう働くのぅ」
「当家にとって、いや播磨にとって大事なことですので・・・・・」
「やはり、わしはいかない、おことが代わりに行ってまいれ、赤松と別所を連れて」
この期に及んで政職はいかないといい始めた、斎にわしの身になにかあったらどうするなどと斎を抱き込み
お紺が引き留めたなどとお紺を引き合いに出し、岐阜行を拒む
お紺はひきとめてなどいないという、ただ単に政職が行きたくないだけなのだ・・・・・

政職が置いた石が碁盤の上でっ小気味いい音立てた。
職隆がいつも通りほめそやし、上機嫌の政職の顔色を伺った
「ときに・・・・・殿・・・・・」
「わしはいかんぞ」
「なにとぞ官兵衛が命を懸けお守りいたしますゆえ・・・」
「くどい」
いかに職隆といえど打つ手がない・・・・

「父上でもダメでしたか」
「取りつく島もない、まるで子供のようだ」
その時、光が走ってきて秀吉からの書状をもってきた
十月に信長が上洛するのでそれに合わせこちらも京へ上るようにとのこと
官兵衛はいよいよ難しい局面となってきた
職隆も腹を決め官兵衛とともに御着へ赴いた

官兵衛が秀吉からの文を政職の前に置くが、手を触れようともしない
「十月に京にて会いたいとの旨でございます、赤松、別所も支度を整えております、いまさら殿が行かぬなど通用いたしません」
官兵衛が諭したが政職はふてくされている
「恐れながら、このまま殿が行かねば当家は織田の顔に泥を塗ったことになりまする、ただではすみませぬ」
職隆の諫言も耳に入らない
官兵衛の言い方がきつくなる
「織田信長公ですわれらは滅ぼされます」
その言葉に政職がジロリと官兵衛を見た
「主君を脅す気か?」
「事実をもうしたまでにございます、羽柴様はわれらのために親身になって働いて、手はずを整えてくださったのです。殿に会いたいともうしておりますなにとぞ・・・・」
その言葉についに政職のかんしゃく玉が破裂した
「どっちが大事なんじゃ!措置はだれの家臣じゃわしは行かぬぞ、どうなろうと知ったことか!」
それを見て、ついに職隆はなぜ駄々をこねているのか勘づいた
「悋気じゃ」
「悋気?誰が誰にやきもちを焼いているのですか?」
「殿がお前にだ、謁見の件でお前は機敏に働いた、それが気に入らぬのだ、お前が小寺より織田家を大事にしているように見えたのであろう、お前を織田家に取られてしまうような気がしたのではないか?」
職隆もお手上げである、その時大軍が攻めてきたと小河が走ってきた

御着めがけて村重が軍を進める、そこへ官兵衛が一騎で走ってくる、そのことにきずいた村重は軍の侵攻を止めた、村重によると信長の命令により官兵衛の加勢に来たという
この時御着を守るべき城主政職はお紺の部屋へ逃げ込み斎と一緒に布団に入れぶるぶると震えていた
職隆が敵ではないと伝えるとそろそろと布団から顔をのぞかせた

官兵衛の案内で御着城に村重が入り、政職い対面した
「摂津有岡城城主荒木村重にいございます、このたびは織田にお味方されると聞き挨拶へ参りました」
政職は拍子抜けした
「あの軍勢は?」
「これから戦でござる、上様の命を受け、敵を滅ぼしに参る」
「滅ぼす・・・・?」
「ご案じ召されるな、もし御着に何かあろうものならこの村重この軍勢、いつでも舞い戻り敵を蹴散らして御覧に入れましょう」
村重の好意政職にとっては有難迷惑、いや、恫喝に等しかった
「小寺殿いつ信長様にお会いになられる?この期に及んで会いたくないなどとは・・・・・」
「な、何を言われるそのようなこと断じてないのぅ官兵衛?」
「はい、秀吉様の書状通り、十月に必ず京に上ります」
「官兵衛粗相のないよう諸事万端頼むぞ」
(結局史実で政職は信長に謁見はしていないという話もあります、この時から信長を裏切るはらずもりだったものと考えられています。)


無事に目的を果たしは村重は官兵衛に誘われるまま姫路でくつろいでいた
この脅しすべて半兵衛の進言により、信長が即断した結果だという
これからあの軍を率いて、石山本願寺との戦のようだ、村重は外れくじを引いたという。できれば中国地方の総大将に任命され官兵衛とともに大きな仕事をしたかったようだ、秀吉のように器用に立ち回れない自分は戦で功を立てるしかないと苦笑いをした

天正三年十月、信長に拝謁するため京の妙覚寺に播磨の三大勢力、小寺、赤松、別所の当主がそろった
信長が面を上げよと声をかけた
それに伴い政職が口上を述べる予定だったが極度の緊張のため体が硬直している、官兵衛に声をかけられやっとの思いで声を上げた
「こ、こたびは、織田様のご尊顔を拝してまつり、きょ、恐縮至極に存じまする・・・・・そ、それがしは御着城主小寺政職と申します。」
「龍野城主赤松広秀にございます」
「三木城主別所長治にございます」
「そ、そもそもわれらは播磨の名家にございます・・・・・」
と口上が続くがいったん言葉が途切れると次が出てこない、信長は待っていたが次第に面倒になったらしく
「大義」
と一言だけ残し官兵衛と視線を合わせその労をねぎらいその場を立ち去った
「退屈な連中だった、官兵衛によしなに伝えよ」
仙千代にそう告げると、信長の頭の中から政職らのことは消えていた

「村重様から仔細伺いました、ご加勢ありがとうございます、しかし自らの主君は自ら説き伏せとうござった」
「「兵の情は速やかなると主とす」戦いは速さ、いつまでも頼りにならない城主など打ち取り官兵衛殿が城を乗っ取てしまえば楽なのでは?」
官兵衛は神経を逆なでされた気分になった
「言葉が過ぎまする」
「いずれにせよ、此度のお手柄見事でござった、いずれまた」
官兵衛の予想通り小寺、赤松、別所が信長につくことにより播磨の主だった勢力は織田方へなびいた

半年後の天正四年四月摂津の石山本願寺には、信長と一戦交えようと大勢の一向宗の門徒たちが集結していた、その中心となるのが第十一世法主顕如だ
顕如は迷っていた、一人の僧侶が顕如の前に書状を差し出した
「毛利の後ろ盾がございます、将軍足利義昭公が紀伊を出て毛利領に移られました。毛利は幕府再興を大義名分に織田と戦う覚悟を決めましたこの機を逃せばわれらが滅びます」
次に武士が二人おとずれ決断を求める。
「ほかに道はないのじゃな・・・」
そういうと顕如は合掌した

官兵衛が動くことで播磨は織田支持が増えた、また一方で石山本願寺の動きが活発していく
そんな中、光に使える侍女のお道、おゆう、お竹は本願寺の門徒のためいとまを願い出た
光が戻りたくなったらいつでも戻ってくるのですよと情けをかけた、しかし侍女を引きとめられなかった責任を感じていた。
官兵衛に詫びを入れに行った、「お前のせいではない、生き残るためには仕方のないことだ、わしを信じよ」
その時毛利からの進軍の報が入った。
「ついに来たか・・・・・戦じゃ。支度をせよ」

軍師官兵衛第八話 秀吉という男 [ドラマ]

天正三年(1575)七月官兵衛はいよいよ信長との謁見の日を迎えた
案内役は万見仙千代、仙千代は信長は気が短くまわりくどい返答を嫌う、聞かれたことには余計なことを言わす要を得た返答をするよう忠告を受けた。
仙千代に先導され主殿に入った、勝家、光秀、長秀、一益、信盛らの注目の中待っていると信長の足音が聞こえてきた。
村重の書状を読んで官兵衛のことは知っているようだ、
「すでに東海、北国、幾内の大半を制し、天下統一へ向け着々と歩みを進めています、しかしいまだに従わないものもおります、その最たるものが、中国の毛利とお見受けいたします、主、小寺政職は織田方に味方仕る所存。ぜひしかるべき大将のもと、軍勢をおつかわしください。その折はわれら小寺が喜んで先手を務めまする。」
しかし勝家は「毛利はまだ敵となったわけではない、まずは北国越前の一向一揆衆、上杉謙信への備えだ」
官兵衛はあったばかりの勝家のことを言い当て、勝家に向きなおした
「仰せ一理あれど、一向一揆衆の大本石山本願寺は毛利とつながっております、播磨は中国から石山本願寺への道筋ここを制すれば両者のつながりを断つことができます、毛利は必ずや織田の敵となりましょう、毛利を討たねば、織田の天下布武はかないませぬ」
一益仁平の数を聞かれ官兵衛はありのまま五百と答えた。
長秀にバカにされるが、桶狭間の戦いと孫子の兵法の言葉を借り言いくるめた
光秀にかばわれ官兵衛が中国攻めの策を話した。
「毛利を攻めるには山陽、山陰二つの道があります、大軍を動かすには平坦な山陽道が向いており、その山陽道に御着、姫路はございます。ここは播磨のほぼ中心。海も近く中国を抑えるのに絶好の要地姫路を中国攻略の足掛かりとするよう主政職は申しております」
播磨の形勢について、志方城の櫛橋はわが婚威なれば懸念するに及ばず、三木城別所も織田方に恭順を示しております、しかしながら、明石、高砂、福原、上月など、播磨の大方の大小名は今は毛利についております。されどそれは毛利の威勢をはばかっているだけにすぎず、結束は強くはありませぬよき大将を姫路におつかわしくだされば、皆、織田家の味方となりましょう。この私めが、播磨一国を必ずや説き伏せてごらんにいれます、播磨を手に入れれば毛利を倒すことなど容易にございます」
信長がもの言わずに立ち上がった、その傍らには佩刀を携えている。
官兵衛に近づき佩刀を差し出した
「そちに取らせる」
その時どたどたと秀吉が入ってきた信長が一喝し秀吉は普請奉行の尻を叩いていましたと言い訳とした
その調子の良さと、普請奉行の仕切りの良さに信長の怒りの矛先を収めた。
「貴殿が黒田官兵衛殿でござるか?」
「荒木村重から聞いておる、よう来てくれた、それがし、羽柴筑前守秀吉でござる。播磨の小寺家がわれらに味方してくだされば、心強い限り。上様、毛利攻めの要となりましょうぞ。ありがたや」
秀吉に信長の命が下った
「猿!そちが播磨へ行け」
「官兵衛播磨を手に入れなければ毛利を倒すことができぬ、毛利を倒さねば天下布武はかなわぬ播磨攻略には内情に詳しいものの導きがいる。この秀吉とよろしく相談せよ。そちの申したことは、この信長の考えていたことと同じだ。面白かったぞ」

官兵衛は心身ともに疲れ果てて、善助たちが待っている控えの間に戻ったときは足がふらついていた
官兵衛は無事に拝謁を終え信長への畏れがじわじわと込みあがってきた
ほっと息をつく暇もなく廊下から官兵衛を呼ぶ大声がした、秀吉が走ってくる

秀吉が一行を案内したのはにぎわう城下町の中ほどにある露店だった。
いつの間にかかしっきってある、秀吉自身が団子を運びもてなす
今や岐阜は日本一の町だ。楽市楽座、関所をなくし道を広げ整えたすべて信長の考え人が人を呼びこの賑わいをもたらした
官兵衛は秀吉の話をきき感服した、すると秀吉は信長から賜った佩刀が気になっているようだった
この佩刀の名は圧切という
圧切の由来を語り始めた
「信長に無礼を働いた茶坊主が膳棚の下に逃げ込んだ、信長はその卑劣さを許さず手にした刀で膳棚ごと茶坊主を真っ二に圧し切ってしまった。その切れ味のよさに、信長自らその刀を圧切と名付けた
(この圧切今も確かどこかの博物館どこかに残っているはず)
その後なぜ秀吉が遅れてきたのかを語りだした、秀吉がもしその場にいれば官兵衛の肩を持ったに違いないしかし、重臣の中には百姓の出の秀吉をよく思わないものもいる、もし秀吉が官兵衛の肩を持った場合秀吉に抗い官兵衛の計略に異を唱えたに違いない
秀吉がいなかったから光秀は官兵衛をかばったと語る。
その光秀も自分が毛利攻めの大将に任命されるものと思っていたようだ。
秀吉は自分の居城長浜城に官兵衛を誘った、官兵衛の返事も待たずさっさと長浜行を決めてしまった

信長は南蛮渡来の赤ワインを好んで飲む、お濃は相伴しながら、毛利攻めを光秀ではなく秀吉にしたのかを尋ねた、信長は人こそ一番の道具、その中でも秀吉は使いやすい道具であると語る、秀吉を使えばほかのものは負けじと競い合う、競い合うことを忘れた人間は役に立たない、此度は道具の手入れをしたと語った
官兵衛もよき道具だと語った、もし秀吉と馬が合えばいい働きをするかもしれぬ

職隆が官兵衛の文を携え、御着の政職のもとに上がった、
無事に信長との謁見を終え大役を務めあげたと報告するも、政職は困ったようにうめき声をあげた
まだ政職は織田と毛利で揺れ動いていた

小寺が織田についたことは、吉田郡山城の毛利にも知ることとなった
しかし織田はまだ越前の一向一揆衆に手がかかるとみる、しばし時を要するその間に播磨の隅々まで手を広げておくと輝元の不安を隆景が払しょくした
その一方で足利義昭が毛利の庇護を求めてきている
隆景は熟考しまだ使い道がある抱き込めば大義名分が得られると義昭を庇護した

職隆はよくよく考えた末光に相談を持ちかけた
どうやら光の兄左京進が働きかけをしているようだ、もし毛利に寝返れば・・・・・
光は青ざめた、職隆の策に光が乗った

数日後光はご機嫌伺いのためお紺を尋ねた、斎と松寿丸の話を始めた、それを引き合いに織田の話を持ち出す織田は女子供関係なく皆殺しにする、しかし味方になれば待遇は働き次第で扱いは格段に良い
お紺は織田につくと聞いていた
しかし政職は毛利につくと仰せのようでと語った、
お紺は憤怒し、政職にきつくお灸をすえに行った、政職の優柔不断さは将来斎にまで悪影響を及ぼしかねない
何日かして、政職は左京進を呼び出し、やはり織田につくと言い渡した、よほどお紺が怖かったようで左京進の説得を受けぬままそうそうと逃げるよう部屋を出た

秀吉に誘われ、長浜に官兵衛は誘われ長浜についた。
長浜は一年前まで荒地であったが今は城が築かれ岐阜に習い楽市楽座を取り入れ町を豊かにし人でにぎわっていた。
しかし問題も・・・・・
領民が一生懸命働いている一方で、盗人も多くなっている、捕えても捕えてもいなくならない・・・・
役人も嫌気がさし、ついには見せしめに首をはねると息巻いている。
それを見た官兵衛はすぐさま秀吉に進言した
「それはもったいのうございます、よく見ればまだ若く、体も頑強罰として昼間は働かせ、夜は牢に入れておくのです、人は生きておれば使い道もあると存じます、命の使い道にございます」
秀吉は柔軟に発想を切り替え、その場で官兵衛の考えを取り入れた。

長浜城に行く前に城下のとある屋敷にて秀吉なりのもてなしが模様された
もちろん女である、それを用意したのがかの石田光成である。
秀吉の隣には側室の南殿が座り、官兵衛たちの隣には遊女たちが酌をしに来た。
秀吉はここで官兵衛に口止めの約束を取り付ける。
「わしは皆が恐れる上様でさえ、怖いと思うたことはない。しかし、この世でただ一人、怖いものがおる。女房じゃ」
口裏を合わせてくれという秀吉に、官兵衛は苦笑いしながら約束を交わした。

翌日、官兵衛たちは、秀吉の案内で長浜城に入り秀吉の正室のおねと対面した。
おねは手を付き官兵衛とあいさつを交わすと、すぐさま秀吉に向き直った、筑前守様、昨夜はどちらへ?
秀吉はもちろん岐阜だと答えるが、おねはすっかり見破っている城下で秀吉を見たものがいるらしい
秀吉は官兵衛に確認を取らせる「人違いじゃ、ち、違うともうしておろうのう、官兵衛」
「はい・・・・」官兵衛は約束を守ると今度はおねの怒りの矛先が官兵衛に向いた
「私は嘘が嫌いです、官兵衛殿昨日はどこにいたのですか?」
「どこにもおりませぬ」
「なんですかそれは?」
「羽柴様はこれから共に戦うお方、そのお方との約束をたがえるわけにはまいりません、一方お方様は羽柴様が大事にされておられるお人その人に嘘をつくわけにはまいりませんそれゆえどこにもおらぬとお答えするしかありませぬ」
おねは側室がどうこうではなく嘘をついてこそこそするのが気に入らないらしい・・・・
光成が時を見計らい、おねにお土産を持ち出した。
どうやらうまくいったようだ
そこへおねから秀吉に一言発せられた・・・・・
秀吉は心臓が飛び上がったが、内容は民から税金を取るのをやめるようにとの意見だった。
損して得とれ、今は領民の信を得ることが肝要。
「どうだ、官兵衛。わしの女房は天下一であろう?」
「はい」
官兵衛がおねを見ると、おねはまた反物の没頭していた。

この夜は官兵衛たちと秀吉の家臣とで宴会になった。皆かなり酒がまわっている、その中でも太兵衛は秀吉の弟小一郎と飲み比べをしているが小一郎は先によしつぶれた
太兵衛が酒の強さではだれにも負けぬといった一言に、小六が酒だけか?と食って掛かる。
次は相撲の取比べとなった。
太兵衛が小六を投げ飛ばし、秀吉が拍手をしながら酒を注ぐ、「わしはおことが気に入った五百石で召し抱えたい、官兵衛異論はあるまい?」
太兵衛の酔いが一気にさめていく
官兵衛が答えに困っていると太兵衛が「お断り申し上げます」
しかし秀吉はひかない「わしは今使える家来を探している、おことはどうしてもほしい一千石でどうだ?」
そこへ善助が助け舟を出す「恐れながら、その太兵衛それがしの言うことしか聞きませぬ」
「ならばそちも召し抱えよう」
「われらは羽柴様に命じられればどんなことでもする所存、しかし黒田家を離れることだけはできませぬ」
九郎衛門も手をつく「たとえ、百万石積まれようとも、われらの忠義はびくともしませぬ。離れるときは死ぬるときでございます」
「わかったわかった、今のは忘れろ。酒じゃおおいにのめ」
官兵衛は胸をなでおろし、秀吉の懐の深さに感じ入った

夜が更け、官兵衛が秀吉と差し向かいで酒を飲んでいた。
秀吉は尾張の中村の農民の出だ、食い詰め針を討って飢えをしのいでいた、そんな中信長が秀吉を拾ったそして草鞋取から身を起こし何とか侍となり、必死にやってきたそれが今は長浜城主運だと語る秀吉
そして成り上がりの秀吉には昔からの家来がいないそのため太兵衛がほしかったようだ、それゆえ家中をまとめるの意苦労するようだ、再度官兵衛に太兵衛と善助を譲ってくれるよう頼むが官兵衛が断る。
「官兵衛おぬし面白いことをもうしておったな?命の使い道とか」
「死んだ、祖父の言葉です、若気の至りで戦って死にたいともうしたことがありました、その時叱られ、命を無駄にするな、お前は命の使い道が分かっておらぬと」
「なかなかの御仁だ、ジジ様は」
「それがしも戦で多くの家臣をなくしました、それ以来祖父の言葉をかみしめ戦においていかに味方の兵を減らすことなく勝利を収めるか、それが肝心だと常々考えております」
秀吉も首を縦に振りながら「わしもそうじゃ、人こそ宝。戦わずして勝つ。それができれば一番じゃ。官兵衛、おぬしとはうまくやっていけそうだ。おぬしと会えてよかった」
「それがしも同じでございます、秀吉様の中国攻めの足掛かりになるため、播磨は何としても守って見せます」
「頼んだぞ官兵衛」
秀吉が官兵衛の手を取った、官兵衛も秀吉の手に手を重ね固く握手を交わした

秀吉が遅くまで起きて仕事をしていると、廊下から声がかかり播磨の情勢を偵察していた半兵衛が戻ってきた。
「で、どうだった?播磨の様子は」
「三木の別所と、御着の小寺以外は毛利についています、毛利の調略が伸びているようです、しかし実のところ様子をうかがっているだけで、こちらに寝返ることは十分考えられます」
「官兵衛の申した通りだな」
「小寺の家老ですな、名は知っております。戦上手と聞き及びました」
「なかなかの切れ者だ、おぬしと気が合うかもしれぬ」
「使える男ですか?」
「使える」
「その男試してみてもよろしいですか?」
「試す?」
秀吉が訝しげに半兵衛を見た。
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