title>軍師官兵衛 第十話「毛利襲来」あらすじ ネタバレ - 軍師官兵衛 非公式解説ブログ dismiss_pictograms | html %>:So-netブログ meta name="description" content="天正四年(1576)五月 田畑にいた農民たちは桑の代わりに武器を取り姫路へと入った、官兵衛たちは武具を身に着け戦に準備に取り掛かっている。 光の指示のもと女たちは台所で飯の支度に取り掛かっていた。 英賀の港では次々毛利の兵と武器弾薬が近くの森の中の英賀御堂へ運ばれていた、黒田の物見は一連の動きを見定.." /> 姫路 天王寺" />
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軍師官兵衛 第十話「毛利襲来」あらすじ ネタバレ [ドラマ]

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天正四年(1576)五月
田畑にいた農民たちは桑の代わりに武器を取り姫路へと入った、官兵衛たちは武具を身に着け戦に準備に取り掛かっている。
光の指示のもと女たちは台所で飯の支度に取り掛かっていた。
英賀の港では次々毛利の兵と武器弾薬が近くの森の中の英賀御堂へ運ばれていた、黒田の物見は一連の動きを見定めると姫路城へ戻っていった。
兵の数はおよそ五千、その数を聞き官兵衛もわれを忘れるほどだったが、すぐに精神を建て直し自分を奮い立たせ檄を飛ばし出陣した。

毛利の軍の大将は浦宗勝、本陣は英賀御堂に構え、そこに一向宗の門徒たちが次々と集まっていた。
その中に、お道、おゆう、お竹の姿もあった。

小寺の大将はもちろん政職、しかし政職は五千という数を聞きすでに戦意を喪失している。
足元は定まらずやっとの思いで出陣した。
本陣では小寺重臣たちで軍議が開かれている、左京進が食って掛かる官兵衛の失策であると・・・・・
政職の唯一の望みは織田の援軍である、しかしすぐに援軍が来るわけもない・・・・・
それがわかると政職は立場も人目もはばからず狼狽した、官兵衛だけは何とか策を講ずることができないか考えを張り巡らせていた。
そんな中経験の少ない若い武士たちは震えていた、いきなり五倍近い兵力と渡り合わなければならないのだ当然のことだ、兵庫助が「敵は五千・・・・・これだけの手勢で勝てるのか・・・・」
その言葉を聞いた太兵衛が歩み寄り声をかけた
「簡単な計算です、一人四人倒せばよいのです、残りの千人は私が一人で倒します」
太兵衛が豪快に笑って見せた

同じころ信長は天王寺砦で一向宗と対峙していた、石山本願寺を包囲していたのだが一向宗の抵抗が激しさを増していた、たまりかねた信長はわずかな手勢を率いて前線に打って出た。
信長は激を飛ばしながら自ら馬上で槍をふるい敵を倒す、しかしそこへ敵の鉄砲隊が到着し信長の周囲の手勢が倒れていく、信長も足に銃弾を受け落馬したそこへ敵が襲い掛かる!!
間一髪秀吉が鉄砲隊を引き連れ到着し敵を一掃した
しかしそれでも信長はひこうとはしない秀吉は自分を盾に使ってくださいといい信長とともに突撃した。
そのあとを仙千代が檄を飛ばし、兵は唸り声をあげ一丸となり敵中へ押し出していった。

英賀御堂の本陣の境内では雑兵たちがかがり火を囲み酒を飲んでいる。
その中に官兵衛の命で潜入していた善助もその輪の中に加わった。酒を一口であおり一言不安を口にした
「しかし酒なんて飲んでいていいのかのぅ・・・・今攻められたら・・・・」
しかし雑兵たちはこの兵力差にたかをくくっている攻めてくるわけがない、敵はこの兵力差ですでに戦意を失っているものと思っている
「明日には播磨じゅうの一向宗が加わる、その時姫路をひとのみじゃ」
善助がその言葉を聞きその場を離れようとすると、女たちが握り飯を持ってきた。
その中に光の侍女を務めていたお道もいた、善助がお道に気が付きはっとして足を止めた・・・・
お道も善助に気が付くが目で合図しその場を立ち去るように合図した。

この夜三木城の別所では小寺に援軍を送るかどうかもめていた、武士の義を重んじ援軍を出すべきと主張する当主の長治しかし後見役の叔父二人がそれを許さない、援軍を出せばいたずらに兵を減らすだけもともと毛利方の賀相はもちろん、重棟も援軍を出すこと了承しない。

小寺の本陣に偵察から善助が戻ってきた。
毛利は明日総攻撃をかける、今夜は動かないことを知らせると、官兵衛は善助に労をねぎらった
その報告を受け政職、職隆とともに戦術をはかった
政職は御着へ帰り時を稼ぐ方がいいと、思っているようだこの期に及んでまだ援軍を期待している
しかし官兵衛は今攻めねば敵は勢いをまし不利となる、そこで油断している今、明日の霧に乗じて攻めると進言、しかしそれだけでは五倍もの兵力差をひっくり返ることはかなわない、一つ策を施すとういう。
そのため職隆に姫路へ戻り領民たちを集めてくるよう伝えた。

夜更け姫路城の庭に近隣の領民が集められた
しかし男ではすでに兵として駆り出されている、いるのは年寄りしかいない戦うわけではない年寄りで構わないという職隆の言葉に領民たちは戸惑いを見せている
休夢がはっぱをかけた「褒美ははずむ、金に糸目はつけぬ!」
この言葉に領民は喜色の色を見せた、姫路の黒田家はこの方領民をだましたことはない勇んで村へ帰って行った。
姫路城では女たちが夜なべをして何かを作っている
布を縫い合わせ、布が足りなくなると紙を張り付け、それでも足りなくなると自らの小袖をほどき旗を作っていた。

夜が明けようとしている、官兵衛の予想通りあたりに霧が立ち込めている。
地の利を得ている官兵衛の軍勢が静かに森の中を進んでいく、「かかれ!!」
官兵衛の号令のもと黒田軍が一斉に攻め入った
「敵だ!」物見の声で、宗勝が飛び起きた。
油断していた毛利陣営に火矢が次々とはなたれ、黒田軍が斬りこんでいく太兵衛が軽々槍を振り回し、若手の九郎衛門や兵庫助も敵を倒していく
宗勝が声を上げ混乱している軍を立て直そうとする、官兵衛は戦況が見渡せる後方に位置し背後に控える善助に命じた、善助が旗を振り森の奥に合図を送った

森の奥では領民たちを率いて、職隆、休夢が待機している、旗の合図とともに領民たちに
旗を揚げ、太鼓を打ち鳴らし、貝を吹いて、声を上げ進軍するかのように地鳴りを上げさせた。
宗勝はそれを聞き振り返った、白みかけた朝霧の向こうにいくつもの旗が林立しているのが見て取れた
援軍の報告を受け悔しながら退却指示を出した。

官兵衛は事の詳細を政職に報告した、勝ったには勝ったが官兵衛はこれは単なるゆさぶりだと見抜いていた、それを聞き政職がうんざりした。
小寺が屈しなければ今度は脅しではなく本腰を入れて攻めてくるその時小寺の兵だけではとても耐えきれないその時にこそ信長の援軍がなければ・・・・・

小寺勢が勝利した知らせは村重を通して信長に伝えられた。
圧倒的不利な状況の勝利官兵衛の一策があってのことだろうとわかっている。
「書状を出して褒めてやれ」
半兵衛より、このたびの毛利の播磨進行は本願寺と示し合わせたものだと読んでいる、本当の戦はこれからだと信長は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

毛利へ逃げ込んだ足利義昭は小早川隆景より英賀の戦の詳細の説明を受けた、しかし義昭は毛利の庇護を受けていても自分が将軍だという誇りが高い。
「毛利は強いと聞いてきてやったのにそんなに強くないのぅ、」
隆景は負けたわけではなく、役目を終えたので引き揚げさせただけのこと、脅しには十分な働きをしたと説明
すぐに次の手を打ち、その時に毛利の底力をお目にかけます、と自信ありげに説明した、やがてその自身のほどが証明される。

善助が姫路城の城門を出ると行き倒れと見紛う三人の女がうずくまっていた、その三人とは
姫路城を出て行った、お通、おゆう、お竹だ。
三人ともけがを負っており、特にお竹は重傷だった、善助はすぐさま城内へと連れて行った医者が呼ばれそこへ官兵衛がきた、善助が許しを乞うと官兵衛は気にせずに許した。官兵衛と善助が廊下で話をしていると中から光が出てきて首を左右に振った、お竹は残念ながらダメだったようだ・・・・・
お道が見舞いに来た官兵衛に手を付き城においてもらえるよう許しを乞うた、それをおゆうが遮った。
自分たちは裏切った身それは虫のよすぎる話だ・・・・・とおゆうは恥じていた
しかし光が言って聞かせる「殿も許してくださる、気兼ねなくいなさい」
官兵衛も「身の振り方は傷が治ってからゆっくり決めるとよい、今は傷を治すことに専念するよう」

信長の書状は建前を重んじ主君である、政職へ送られた、その書状を自分の手柄のようにお紺に見せる
「官兵衛に任せておけば万事うまくいく、あとは織田の軍勢が播磨へ入れば安泰じゃ、いつ来るのじゃ?」
その問いかけに対して官兵衛は「書状を出して確認します」
その時斎が絵をかいてもってきた、政職はその絵は自分だと思っているようだが、お紺が言うにあの絵は官兵衛を書いたものだという、斎は体が弱い、だから官兵衛のような強いものにあこがれるらしい

政職はしばらくは戦のことは考えたくないのだろうしかし織田と毛利に挟まれた播磨ではいつか大きな戦が起きる、その時は織田の軍勢の力が必要となる、姫路に帰ってさっそく筆を執った。秀吉に書状をしたためるためだ、そこへ職隆が酒を持ってやってきた、酒を飲みながらこれからどのように援軍が来るまでの間耐えしのぐか考えていた。
お道は傷が少しいえると働き始めたしかしまだ完全に傷が癒えていない・・・・
井戸から水を汲もうとするが落としてしまった。そこへ通りかかった善助が手伝う、話をしてみると、善助とお道には共通点が多くあった、お道の父親は、官兵衛の祖父重隆につかえていたという。
その父を亡くし母も早くに亡くした、善助も早くに両親を亡くしている、しかも善助とお道の生まれた村は隣通しだという。

官兵衛の書状が長浜の秀吉のもとに届いたが・・・・
長浜の秀吉はそれどころではなかった、妻のおねがいなくなってしまったのである。
そこへ官兵衛の書状を携えた佐吉(三成)がおとずれた、秀吉が佐吉におねの居所を聞くと、なんと朝早く船をだし安土へ赴いたという。
安土とは信長が新しく城を築いている場所で長浜が琵琶湖の北に位置するのに対し、安土は東側に位置している交通の要所である、秀吉は急いでおねのあとを追いかけた。

おねの見繕ったお土産を楽しそうに見ている信長、おねは日ごろの秀吉の浮気をお濃に聞いてもらっていた
お濃の考えが少しおねと違っていた、跡取りを生むのは確かに武家のおなごの役目だしかしそれだけではないと思っていた。夫を支えるのも妻の役目と・・・・
「気のすむまでこの安土にいるとよい、秀吉にきつくお灸をすえてやるとよい」
と笑った、それを後ろで聞いていた信長が会話に加わった。
「秀吉にとって、おぬしはできすぎた女房だ、ほかの女にうつつを抜かすとは言語道断、お前のような女房は二度と手に入るものではない」
その言葉をそのまま手紙としてしたためるようにおねが頼んだ、お濃も口添えをした、
信長が笑い出し、おねの考えを読み取った「最初からそのつもりであったな、この信長に痴話喧嘩の仲裁をさせるとは大したおなごじゃ、しかしお前ほどの女房はめったに手に入らぬがお前も正室だ堂々としておればよい悋気など余計なことだ、よいな?」
長浜に帰り、秀吉の前に座ったおねは信長の書状を差し出した、それに目を通した秀吉「おね、わしが悪かったおぬしあっての儂だ、これからは心を入れ替える故、上様を巻き込むことだけはやめてくれ」
手をついて謝った
(信長の説得の仕方が史実と少し違いますね、説得の仕方は確か、信長は秀吉がいかに仕事上では素晴らしい働きをするのかを説き、そのうえで、ほかの女にうつつを抜かすことはいけないと言い聞かせ正室である故堂々として、跡継ぎを残さなければならないということを理解させ、少しは我慢せよと説得し、秀吉には女遊びはほどほどにして妻を大事にするように手紙を書いたとされています)

英賀の戦からふた月後の七月、摂津の木津川の河口付近で、本願寺への兵糧を運び込もうとした毛利の水軍と織田の水軍が激突、織田水軍が大敗を喫した、時期が時期だけに織田の敗北は衝撃を伴い各地へと広まった、信長包囲網は勢いを増していく、やがて播磨を巻き込み天下を揺るがす新たな危機をもたらすことになる。
(村上水軍ですね、この時村上水軍は巧みな海戦と策、船の配置、そして火計といいますか火炎壺を投げ織田の船を次々と燃やし沈めたいったそうだ、そのことで信長は鉄鋼船を作ろうと考えるとか考えないとか、信長の考えは、その当時では群を抜いて突飛なものでしょう、朝倉を攻めるときも朝倉領はそこまでいい土地とはいえません、しかし強引に攻めようとしました、それで周りは、浅井、朝倉に対する怨恨だと考えるわけですが、実は違います、本当は朝倉領の港がほしかったとか、港を得れば流通で財を築けます、しかしその当時流通で金周りをよくするなどだれも考えなかったといいます、流通の考えが出てくるのは江戸時代になってからです、信長もかなりの天才だといえるでしょう)





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