title>軍師官兵衛 第七話 「決断のとき」 あらすじ ネタバレ - 軍師官兵衛 非公式解説ブログ dismiss_pictograms | html %>:So-netブログ meta name="description" content="姫路城の庭にて、松寿丸と僧侶が合戦ごっこをして遊んでいる。 それを見て光は愛想笑を浮かべている。 この僧侶こそ毛利家の外交を担っている、安国寺恵瓊である (確か、秀吉が中国おお返しをする際に和解を結ぶために間に入ったのがこの安国寺恵瓊のはず) 恵瓊は松寿丸をみて父にも劣らぬ猛将となろうなどと語ってい.." /> 姫路 子供 中国 琵琶湖 使い捨て 岐阜 仲直り 夜明け" />
SSブログ

軍師官兵衛 第七話 「決断のとき」 あらすじ ネタバレ [ドラマ]

スポンサーリンク




姫路城の庭にて、松寿丸と僧侶が合戦ごっこをして遊んでいる。
それを見て光は愛想笑を浮かべている。
この僧侶こそ毛利家の外交を担っている、安国寺恵瓊である
(確か、秀吉が中国おお返しをする際に和解を結ぶために間に入ったのがこの安国寺恵瓊のはず)
恵瓊は松寿丸をみて父にも劣らぬ猛将となろうなどと語っている。
恵瓊の訪問に、官兵衛、休夢、善助、太兵衛、九郎衛門、兵庫助が一室で善後策を講じている、九郎衛門は毛利につくかどうかの探りに気なのではと疑りを見せ、休夢は小寺の殿の耳に入ればまたあらぬ疑いを産むので合わない方が得策だと進言した。
しかし官兵衛は「相手も危うい思いをしてわざわざ来ているのです、会ってやりましょう」と好奇心をむきだしにしている

官兵衛は恵瓊を主殿に通した、そして互いに探りを入れあう。
まずは官兵衛「毛利は大国さらに勢力を伸ばすおつもりでは?」
「滅相もない、亡き元就公の遺言は自国を守り、天下を望むなかれ・・・・」
「しかし織田は西に手を伸ばしてくるのは必定です」
「そうなれば戦うしかない・・・・・」
「官兵衛殿はどちらが勝つと思われるか?」
今度は恵瓊が探りを入れる。
今戦えば毛利が勝つでしょう、しかし一年後二年後とればわかりません・・・・・
「織田が勝つと?」
「わかりません」
「毛利もせいぜい力をつけねばなりませぬな・・・・・今日は面白うございました」
席を立つ際思いだしたかのように付け加えた
「浅井、朝倉も、間もなく信長殿の手によって滅びるでしょうな」

天正元年(1573)九月恵瓊の予言が的中し、浅井、朝倉が滅びた・・・・・
信長は岐阜城に重臣たちを集め労をねぎらった、その末席に藤吉郎の姿もある。
信長は藤吉郎を呼ぶと「此度の働き見事だった、望み通り、大名にしてやる、浅井領だった北近江をくれてやる」勝家が憎まれ口をたたくがすべて信長の計算ずくであった。
「功名をたてたものには褒美は惜しまぬ、みなもはげめ」
藤吉郎はこれを機に名を改めたいと願い出た・・・・・その名は織田家の双璧柴田勝家、丹羽長秀より一字ずつ取り名を”羽柴”秀吉となった。
いつもは秀吉をよく思っていない二人であったが双璧などといわれ気分が良い、信長はにやりとしながら改名を許した。
羽柴筑前守秀吉の誕生である。

屋敷に帰る秀吉は妻であるおね(ねね)を呼びついに大名になったことを報告した。
北近江には浅井長政が自刃した居城小谷城がある・・・・
しかしおねは落ちた城は縁起が悪い、新しい城を岐阜城に倣い、新たに琵琶湖の見える位置に作るように秀吉に提案した。
秀吉も琵琶湖が見える城にそそられた

姫路城では剣術のけいこをしている家臣に混じり、松寿丸が木刀をふるっている、それを見守っている光のもとに官兵衛が一人の少年を連れてきた
名を又兵衛といい、父と母の両親が相次いでなくなったそうで、面構えがいいので政職の許可をもらい貰ってきたという
松寿丸より八歳ほど年長だ、数日したある日松寿丸は大きなこぶをつくっている、光が心配して聞くと転んだという、しかし転んだ傷には見えない・・・・
そこへお福が又兵衛を連れてきた「この子が若殿に狼藉を働きました」
松寿丸と又兵衛は勝負したという、その際にできた傷であった、お福に叱られ又兵衛は外に飛び出した・・・
光は城内を探すが見当たらない、外は雨がざんざん振りで大雨である、心配になり城下にまで探しに行った
ようやく見つけた又兵衛は高熱で倒れかけた・・・・
姫路にてこんこんと眠り続ける又兵衛、そこに官兵衛が訪れ又兵衛の素性を語った、どうやら親が死んだあと親戚をたらいまわしにされたそうで、心根がひねくれたのであろうと語る
一晩中看病に当たった光だがついに夜明け頃に眠りに落ちてしまった、目を覚ますとすっかり熱の下がった又兵衛が見上げている。
その日又兵衛は松寿丸に誤り、仲直りした
「子ができなければ貰ってくればよい、ここで暮らすものはみな家族だ、光お前は女主としてこの姫路城を仕切っていくのだこれからも皆を頼む」
この時光は、姫路城の母となることを決めた

天正三年(1575)正月、光の姉・力が光に会いに来ていた。
力は上月影貞に嫁いでいた、上月の城は播磨の西毛利に一番近いそのため毛利につくことを決めたようだ
「織田につけば間違いなく、黒田家は滅びます光あなたから官兵衛殿にそれとなく言い含めなさい、毛利につくようにと」
官兵衛が訪れ、力は光に子宝に恵まれるといわれるお札を、官兵衛には南蛮渡来の怪しい薬を渡し帰って行った、「姉上は何をしに参られたのだ?まさかお札と薬を渡しに来ただけではあるまい?」
「それが・・・・・」
光は口ごもった。

播磨の情勢を探っていた文四郎が戻った
備前の宇喜多直家が毛利につきました、上月も毛利につくそうだ官兵衛も情報を提供した。
宇喜多にならい、播磨の地侍は毛利になびいている、はっきりと織田についているのは三木城の別所ぐらい別所も家中では織田か毛利かもめているそうだ・・・・
集めた情報をもとに休夢、善助、九郎衛門、太兵衛、兵庫助といろりを囲み屈託のない意見を求めた
九郎衛門が話の口火を切った毛利は情に厚い、一度盟を結べば裏切ることはない。
しかし太兵衛は毛利が情に厚いのは知っているが必要なのは情よりも強さだ・・・・・
「織田の強さをわかっておらぬ、あの軍勢を敵に回してはわれらはひとたまりもない・・・・」
休夢は織田の強さに異論はないが・・・・その所業が目に余る、比叡山だけだ無くそのあとの長島の戦いでの一向一揆集の皆殺し・・・・・
九郎衛門はもう一つ信長のおぞましい話を耳にした
「浅井親子と朝倉のしゃれこうべを金箔で塗りそれを肴に祝杯を挙げたとか・・・・」
ようは織田と毛利どちらが強いか・・・・・
善助は強さは織田に軍配を上げたいが、休夢は両者を天秤にかけることは難しいという
官兵衛は口を挟まず皆の意見を聞きながら考え込んでいた

お濃は信長の所業についに黙っていられなくなった。
「比叡山の坊主どもは修業を怠り、民から財をかすめ取り、贅沢三昧、しかも朝倉の軍勢を引き入れわしと一戦交える構えを見せた、もはや武家と同じよ、そのくせ都合が悪くなると仏の名を隠れ蓑にする。その二股ぶりが我慢ならぬ」
「されど女子供まで・・・・・あまりにもむごうございます。」
「女子供でも見逃せばいつわしにはむかってくるかわからぬ、今はすべてを変えるとき、わしについてくるか根絶やしになるか、選ぶのはわしではない」
「いつご自身の身に帰ってくるのか、おそろしゅてなりませぬ」
「因果応報か・・・・・わしはそんなもの信じてはおらぬ」
(お濃との会話がありますが・・・・・お濃はこの時といいますか武田が上洛の構えを見せたときにはもうすでに亡くなっていたといいます、あまりにもお濃に関する、書物が少ないそうで、いつ亡くなっていたのかもつかめないそうです、しかし武田が攻めてきたときには手紙や書物などが一気に少なくなっているそうでその近年になくなったのではとみられています)
この年の五月三河の長篠の戦いが行われた、世に言う「長篠の戦である」この戦いで信長は大量の鉄砲を用いた戦術にて戦国最強といわれる武田の騎馬隊を葬り去った。
この時使われた鉄砲は三千丁に上る鉄砲を使用した。
(三千丁といわれていますが、実際には半分の千五百丁だったといいます、三千丁もの鉄砲を用いた戦術といわれていますが、その割には軍の横幅が短く、兵が並ぶことができないといいます、そこで出された結論が半分の千五百丁です、これであれば史実に記載されている軍の幅と鉄砲の数がおよそあてはまるといいます)
「次は毛利じゃな」
秀吉は言ったそばから何か言いたげだ
「まずは播磨を攻略するべきかと、それがしにおまかせいただければこれらを調略し・・・・」
秀吉の言葉を遮り、勝家に意見を求めた
「権六、お前ならば毛利をどう攻める?」
「それがしならまず、伯耆、出雲と突き崩し、しかる後に毛利の根城をたたきまする」
秀吉が反論しかけると、信長は鞭で制しその場を立ち去った

毛利輝元は安芸の吉田郡山城を居城としている、新戦術を用いた長篠の戦は、輝元、吉川元春、小早川隆景の耳にも入ってきた、三千丁の鉄砲を用いた勝利は信長の強さを印象付けるものだった。
その日播磨の調略から城に戻った恵瓊もいた
「播磨の地侍は別所長治だけが織田につきましたがほとんどがわれら毛利につきました、しかし姫路の黒田官兵衛の動きだけが読めませぬ」
元春は小さな姫路など気にするまでもないと語るが、隆景は用心に越したことはないという
恵瓊はそこはぬかりなくと、したり顔をした。

政職が織田は西に攻めてくるか?と問いかけたのは左京亮亡き後櫛橋家を継ぎ小寺家家老となっていた左京進だった、左京進の進言を受け政職はす早急に評定を開いた・・・・・
評定に先立ち左京進は姫路を訪れ官兵衛の説得に当たっていた。
毛利につけば本領安堵だそれに力の嫁いでいる、上月家は毛利方だ、姉妹で争わせる気か?
光を泣かせるな、光が酒を運んできて話はまとまったのか?と尋ねると左京進は満足そうに「まとまった、これで姉妹で争わずに済むぞ」左京進は機嫌よく盃を重ねるが、官兵衛は難しい顔で酒を飲んでいた。

官兵衛は評定を前に職隆と轡を並べて山頂まで馬を走らせた、眼下に広がる姫路を見た
毛利につけば本領安堵、しかし織田の勢いは侮れない、織田につけば使い捨てにされるかもしれない、しかし毛利につけば織田と戦うこととなり毛利とともに滅びるかもしれない・・・・・
自分の判断が間違っていれば、黒田家は滅びる、祖父重隆、父職隆が築き上げてきたものをすべてうしなってしまう・・・・・
いつになく歯切れの悪い官兵衛に職隆は
「失うことを恐れるな、お前が考え、お前が決めるのだ」
祖父、父が行ってきたことは一つに集約される
「・・・・・すべては生き残るため」
官兵衛はもう一度姫路の景色を眺め意を決したように馬を走らせた

天正三年六月小寺家の行く末を決める大評定が開かれた
「天下の形勢ただらなぬ今、毛利につくか、織田につくかどちらが良いか、みなの存念を聞きたい」
「恐れながら、毛利につくべきと存じます」
小河が真っ先に毛利を推し、江田、左京進が同調した
「毛利につくほか道はござらん、官兵衛もそれがしと同じ所存でございます」
政職は念押しするように官兵衛を見た。
「それがしは織田につくのが最善と心得ます」
「官兵衛、何を言い出す!話が・・・・」
官兵衛は前に進み出た
「毛利は大国ですが、元就公の遺言に従い、天下を取る気概がございませぬ、しかも家督を継いだのはまだ若い輝元殿」
「吉川と小早川が補佐しているではないか」
江田が横から口出した。
「いかにも。毛利輝元殿は伯父の元春殿、隆景殿の助けがなくば、采配も振るえない若輩者ということでござる。そのようなものを大将にいただいて、果たして、あの織田に勝てるとお思いか?」
官兵衛が輝元の力不足を挙げると、江田、小河は二の句を継げない
「一方、織田信長は世に天下布武と掲げておりまする、『国をおさむるものは義立てば、すなわち王たり』織田は大義を持って兵を進めるからこそ、わずか尾張半国から身を起こし、今川義元、浅井、朝倉を滅ぼし、さらに武田も打ち破ることができたのでござる。その勢いは大河のごとくとどまることを知りませぬ。さらに、織田の強みは大義だけではござらぬ、何よりその政。国を強くするには、民を強くせねばなりませぬ、織田は楽市楽座、関所を廃止するなど、新たな試みを次々と取り入れ、その領内は繁栄を極めております。人々がおのずと集い、財も集まる。家中においては門地門閥によらず取り立てるゆえ、才覚あるものが揃い、万全の態勢、武勇智謀ともに備わった織田信長こそ天下人となるに相違ありませぬ」
「殿!小寺家百年の大計にございます、天下の潮流に乗り遅れてはなりませぬ!ここで見誤っては、当家は間違いなく滅びます。すべては生き残るため。われらが生き残る道はこれしかありませぬ!」
官兵衛の熱弁は、政職の心を揺さぶった
「相わかった!わしは官兵衛の意見をよしとする。当家は織田につくことにする」
官兵衛はさらに続ける
「されば、早急に、当家の意向を織田方に伝えねばなりませぬ、それがし、織田家の重臣につてがあります。それがしに岐阜行きをお命じください」
「よし、行ってまいれ。小寺家の命運官兵衛そちに預けたぞ」
「ははっ!」
重大な使命を帯びた官兵衛を、左京進が悔しげににらんでいた。

「動も狐につままれたような気分だ・・・・官兵衛は口がうますぎる、その気になって織田につくといったが今になって不安になってきた・・・・」
そういうとお紺を見た
「官兵衛は賢い男。私は信ずるに足る人物と心得ておりますが」
「ここは思案のしどろろじゃのう・・・・・・ま、いざとなったら奴に責めを負わせればよいか」

官兵衛は、善助、太兵衛、九郎衛門を伴い摂津有岡城の荒木村重に取り次ぎを依頼するために赴いた
「任せておけ、しかし官兵衛一つ忠告しておく、信長様は難しいお方だ、おことなら心配ないと思うがくれぐれも粗相のないようにな。聞かれたことはしかと答えろ。あいまいな答えは許されぬぞ」
「はい」
官兵衛は身が引きしまる思いがした。



スポンサーリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。