title>第五話 死闘の果て あらすじ ネタバレ - 軍師官兵衛 非公式解説ブログ dismiss_pictograms | html %>:So-netブログ meta name="description" content="永禄十年(1568)九月岐阜を出立した信長、次期将軍・足利義昭を守護するという名目で上洛を果たした。 ところがいざ京へ入ると度重なる戦で町は荒れ果て活気はなく人通りも少ない まず信長は都を立て直すため藤吉郎に言い渡した。 (この信長の上洛ですが当時の信長の軍事力および経済力では難しかったといわれてい.." /> 着物 姫路 子供 落とし 草津 岐阜 碁 保障" />
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第五話 死闘の果て あらすじ ネタバレ [ドラマ]

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永禄十年(1568)九月岐阜を出立した信長、次期将軍・足利義昭を守護するという名目で上洛を果たした。
ところがいざ京へ入ると度重なる戦で町は荒れ果て活気はなく人通りも少ない
まず信長は都を立て直すため藤吉郎に言い渡した。
(この信長の上洛ですが当時の信長の軍事力および経済力では難しかったといわれています、そのため信長は上洛の途中戦を仕掛け城を次々と落とし、命と領土を保障する代わり金と兵糧と兵力を提供させ自らの力を増やし上洛したといいます)

姫路領内を流れる川の堤防工事を完成させたこの年作物がよく実った、そして光(幸圓)のおなかには嫡男である松寿丸のちの長政を身ごもっていた。
姫路城の一室で善右衛門から京の様子を官兵衛が聞いていた、信長はわずか一か月で町の乱れを
ただし京では信長を悪く言うものはいないそう
敵はその信長に恐れをなし逃げて行ったそしてみな信長に従っている
同じときお福が小兵衛ともめていた、寒いので炭をほしがるお福に小兵衛が重ね着をしろともめていた。
その前の日にもよる書物を読みたいので明かりをつけるため油をくださいといった所夜は早く寝るもの
とあしらったことがあり櫛橋家をないがしろにしていると喧嘩になっていた

その夜光が官兵衛にそのことを伝えると、官兵衛はそれは重隆が行なっていた”倹約”であると伝えた。
光が別の見方をすれば倹約ではなく”ケチ”なのでは??と尋ねると官兵衛はしょげながら”倹約”であると伝えた、金を蓄えいざという時にその金を使うのが黒田家の家風である。
(この倹約は官兵衛の晩年でも続いており、この官兵衛の倹約により関ヶ原の戦いの際には3000人もの
大軍を作り上げている、その時はもう兵農分離が進んでおり、一人召し抱えるのに約3石ほどかかるといわれている、戦国時代にはその半分で召し抱えることができたといわれている、なので3000人で約9000石ほどの石高が必要となる、それだけの金銭および兵糧を蓄えていたことに当時家康は疑問と疑惑を向け心を許さなかった。)

職隆は家督を譲ったのち官兵衛の実弟兵庫助とあと添いのぬいとの間にうまれた幼い子供達とともに姫路城の近くの屋敷に移り住んでいた
楽しみは小兵衛との碁打ち、政職にはわざと負けなければならないため苦労する・・・・・
碁を打ちながら小兵衛は息子武兵衛の心配をしていた、官兵衛には子供も生まれるのに武兵衛は浮いた話しひとつないと・・・・・
ウワサをされているとは知らず武兵衛は女中のお国に着物をつくろってもらっていた、それは官兵衛から
譲り受けたものらしいがその割にはいいものではない・・・・
お国が尋ねると武兵衛は官兵衛は贅沢を好まれない、この着物も安く譲ってもらったものだという
誰かにただで物を譲るとその者は喜ぶが貰えない者はひがむだから安く売るのだという。

永禄十一年十月足利義昭は第十五代将軍となった、その褒美として信長に副将軍にすとを言い渡すが
信長は辞退する、その代り、堺、大津、草津の三都市を自分の直轄にしたい旨を伝え許しを受ける
この三都市は、堺は貿易の一大拠点、大津・草津は物流や水上運送のかなめとなりいずれも莫大な富を生み出す、(これにより本願寺と対等に戦える)光秀にあまり図に乗らせるなと忠告させた・・・・・
義昭が将軍につき京から目を離せなくなった播磨の城主たちはそれぞれ動きを見せる、自分の娘を側室と
して送り出した赤松政秀に、御着の政職は焦りを見せた・・・・・
官兵衛は将軍・義昭よりも信長とのよしみを通じたほうが得策と進言したがあっけなく却下され、義昭に馬を送るようにと江田の進言を受け入れた。

官兵衛は時代の流れに乗り遅れてはならないと感じ善右衛門のもとを訪ねた、そこでおたつの従兄弟で
伊吹文四郎を紹介され、文四郎に京の様子を探ってもらうように頼んだ。

竹中半兵衛は近江の庵でひっそりと暮らしていたが・・・・・
藤吉郎が織田家へ士官してくれと勧誘にたびたび来ていた、しかし半兵衛は織田家の家風が自分とは合わないと断っていた、野心のためならば実の弟までも殺す・・・・・美濃の斉藤家もそうだった、そういう思いをするのはもううんざりであった。
そのことを伝えても引き下がらない藤吉郎、そればかりか首を縦に振るまでここを動かないという藤吉郎に半兵衛はついに折れた。
信長ではなく藤吉郎に仕えるのであれば従うとのこと、その言葉に藤吉郎は涙した・・・・・

播磨では光の陣痛が始まっていた落ち着かない官兵衛・・・・・
そこへお国が走ってきて丈夫な男の子が生まれたと報告を受けた。その赤子は松寿丸と名付けられたのちの長政である。

職隆が以前の厳しい顔を見せず・・・・・孫の松寿丸をあやしている爺となっている
官兵衛がとぼけて武兵衛に誰か好きなものでもおるのか??
と聞いたが武兵衛ははっきりしない・・・・・・
見かねた光が「男ならはっきりなさい!!目の前におるではないか!!」と檄を飛ばす
お国がほほを染め武兵衛も赤くなったそんな二人をみな温かく見守った

御着は西に赤松、東に播磨最大勢力別所安治がいて両勢力に挟まれている。
その赤松と別所が手を組んで攻めてきた・・・・・
赤松は3000もの兵を率いていたが、別所との合流に失敗・・・・・
その隙を突き官兵衛はわずか数百の手勢しかいなかったものの撃退した
早朝黒田軍は奇襲をかけ赤松軍を撃退した、この報告に喜んだのがもちろん政職である、政職はこの報告により気が緩んでいる、しかし官兵衛は次が勝負どころだと踏んでいた・・・・・
しかし政職はつぎ攻めてきたらわしが出ると大口をたたいて得意げにしているだけであった・・・・・
官兵衛は嫌な予感がした・・・・・・

官兵衛とともに職隆、休夢、友氏も同じ危惧を抱いていた。
つぎは全軍で攻めてくる・・・・・
官兵衛はツボを小兵衛、武兵衛、善助に持ってこさせた、それを光が松寿丸を抱きながら見ている。
中には相当数の金がはいっている。”金はいざという時に使う”それが今!!
皆にねぎらいの言葉をかけながら金を家臣たちに差出気持ちを一つにまとめあげ士気を上げていった。

翌年赤松が予想通り兵を挙げた、狙いは官兵衛の予想通り姫路城である。
善助は初陣であり緊張している、小兵衛から自分のあとについてくるよういわれ小兵衛のあとについていった、台所では女たちが飯炊きをしている、武兵衛はお国を見つけこちらへ呼び戦が終わった後に祝言を挙げ夫婦となろうと約束を交わした。
官兵衛は光と松寿丸との別れを惜しみ戦勝の約束をして出陣した、官兵衛の留守を預かるのは職隆である

小寺軍は土器山に陣を張った、官兵衛が陣を整えていると御着から政職が合流、政職はいまだに楽観視している、その夜官兵衛は側近たちとともに戦略を練っていた正面からぶつかったのでは勝ち目がないことは明らかである、その時赤松の奇襲により土器山が四方囲まれた・・・・・

黒田陣営が最前線で戦う中政職は本陣でうろたえていた・・・・・
江田小河は赤松がこちらを取り囲もうとしている・・・・早々に陣を退き御着に帰るよう進言した、政職は何のためらいもなくその進言を聞き入れ、官兵衛には後は頼むと伝者を送った。
官兵衛はその命をきき愕然とした・・・・・
兵は誰一人として残ってはおらず黒田勢だけでここを守らねばならない・・・・
休夢は姫路で籠城するか?と聞いたが官兵衛は首を横に振りそれでは敵の思うつぼここで踏ん張らねば姫路が落ちる、そう言うと家臣たちを激励し士気を高めた。士気の上がった武兵衛が善助と先に立って駆け出した。

赤松の先駆けを務めるのは小寺を裏切った石川源吾、石川の攻撃を黒田勢一丸となり防いでいたが多勢に無勢次第に押され始めた、落馬した友氏は気丈に戦ったが背中から槍に突かれ絶命した。
小兵衛も果敢に敵を倒していくが駆け抜けてきた騎馬武者の凶刃に倒れた・・・・・
武兵衛は小兵衛に最後の言葉を掛けた「殿をお守りしろ・・・・・」そういうと絶命した。
夜明け頃官兵衛のもとに友氏と小兵衛の討ち死にが報告された。
そこに職隆が姫路の兵をつれ加勢にきた、職隆は加勢と同時に弟とわが子の博役の悲報を耳にする。
官兵衛と職隆は残りの兵を引き連れ攻めに転じた、疲労していた黒田軍は息を吹き返し疲れの見え始めた赤松軍はじりじりと押しかえされた。

姫路城には女子供しか残っていない、光はなぎなたを手にしお国、お福とともに女たちを取りまとめていた
その中近隣の百姓たちが姫路へと逃げてきた・・・・・
光はすぐに百姓たちを城へと入れ籠城に供えた。

夜、ようやく戦闘がやむと官兵衛の陣営に傷ついた兵たちが戻ってきた、善助が泣きながら武兵衛の手当てをしている、その中官兵衛、職隆、休夢が軍議を開いている。
休夢が姫路へ戻り籠城を提案したが、さらに減った兵力では籠城もままならないと判断した官兵衛は攻勢に打って出るといった。
休夢が呆れていると、官兵衛は孫子の言葉を引き合いに出した「進みてふせぐべからずは、その虚を突けばなり」つまり油断しているときに敵の虚を突けば敵は防ぐことはできない!
官兵衛自ら先鋒を務め、職隆が後陣の守りについた、武兵衛が槍を杖代わりにしたがら、連れて行ってくれと懇願したが官兵衛はもちろん連れて行くつもりはないしかし武兵衛は父の仇と言葉を守るため引き下がるつもりはない。

小丸山の赤松本陣では政秀石川らが戦勝気分で酒を酌み交わしている、その時家臣が飛び込んできて
黒田が攻め込んできたと報告を受け、石川が酒を放り出し外へと飛び出した。
大混乱の赤松軍の中で人きは目立ち、太刀を振るっている官兵衛の姿が見える、石川は気取られないよう官兵衛の後ろに回り込み槍を突き出した・・・・・
間一髪武兵衛が官兵衛の間に入り官兵衛を守ろうとした武兵衛の腹に槍が刺さった・・・・・
激高した官兵衛が石川と一騎打ちの末何とか切り倒した、石川が死に指揮官がいなくなった赤松軍は退却をはじめそれを見た武兵衛が倒れこんだ、官兵衛に「姫路を守ってください・・・・」善助に「おれに変わり、殿を頼んだぞ・・・・」といいのこし笑顔を浮かべて息を引き取った・・・・・
赤松政秀はこの敗走ののち小寺領に侵入することなくこの世を去った。

翌朝、姫路に戻った官兵衛、職隆、休夢、善助は勝ち戦の代償は大きく表情は険しい
馬から降り光のもとへ歩み寄っていく
お国は武兵衛を探しているが姿が見えない・・・・・
官兵衛はお国を呼び止めると武兵衛の訃報を伝えた、自分の身代わりとなり、姫路とお国を守って死んだと
官兵衛が太刀を抜き勝どきを挙げた・・・・表情はけして笑顔はない苦い勝鬨だった

姫路に束の間の平穏が訪れ官兵衛に新たな家臣が加わった、一人は職隆の近習を務めていた井上九郎衛門、そしてもう一人はのちに一騎当千の黒田二十四騎筆頭となる太兵衛である。
太兵衛は槍に見立てた棒を振り回し型を決めて見せた。



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