title>ロケ地姫路 姫路と官兵衛の関係 - 軍師官兵衛 非公式解説ブログ dismiss_pictograms | html %>:So-netブログ meta name="description" content="今はロケの最中のようです姫路市でロケを行っているよです。 姫路といえば姫路城ですこの姫路と姫路城官兵衛とどのような関係があるのか昨日の続きから追っていきます。 昨日は官兵衛の曾祖父と祖父のいきさつについて書きました。 官兵衛の祖父は目薬を売り、その財を低利で貸し付けることによりさらに財力を付けま.." /> 落とし 姫路 明石 結婚 目薬" />
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ロケ地姫路 姫路と官兵衛の関係 [ドラマ]

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今はロケの最中のようです姫路市でロケを行っているよです。
姫路といえば姫路城ですこの姫路と姫路城官兵衛とどのような関係があるのか昨日の続きから追っていきます。

昨日は官兵衛の曾祖父と祖父のいきさつについて書きました。

官兵衛の祖父は目薬を売り、その財を低利で貸し付けることによりさらに財力を付けます、その財力と地元の豪族の支持兵力を囲い力をつけていった、そして西播磨にある御着城の城主小寺氏を支援し始め小野寺氏に使えるようになった。

官兵衛の父職隆(もとたか)を小寺氏が気に入り自分の一門に加えたくなったそこで考えたのが政略結婚である、明石城城主明石正風の娘を養子にとり、職隆(もとたか)に嫁がせた、これが官兵衛の母です。
職隆(もとたか)は小寺家の家老に任ぜられ性も小寺と改めた、(のちに官兵衛が黒田に戻します)

小寺氏からひとかどの人物と認められた職隆(もとたか)は御着城の支城である姫路城預けられます。

姫路城といえば織田家に仕えていたとき秀吉が使っていた城です、元は黒田官兵衛が使っていた城です。

姫路城は今は立派な城ですが、職隆(もとたか)が預けられたときはそのような立派な城ではなく、小規模の館であり、まわりは土塁で囲まれ、屋根はなんとかやぶきであったとされる。

姫路城代となった職隆(もとたか)は、思慮深く、情けも深くかつ武勇の人であったといわれる。
近隣の城を十三落とし自ら敵の首級を二十七とったと伝えられている。
それだけではなく義理を重んじる人で自分を取り立ててくれた小寺氏に忠義を尽くすなどかなりできた人物である。

この職隆(もとたか)が結婚した翌年長男万吉が生まれる。この万吉がのちの黒田官兵衛である。


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